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ビート・ジェネレーション


ビート・ジェネレーション(Beat generation)とは、1950年代に開花した文学の運動である。ビートニクBeatnik)あるいはビートとも呼ばれる。俺たちのことをなんて呼ぶかとたずねられたケルアックが「ビート・ジェネレーションだろ」と答えて命名され、意味は、ビートな取り引きではヘロインに金を払ったのに開けてみると砂糖だったというような「だまされてふんだくられて精神的肉体的に消耗している世代」をあらわす言葉[1]。小説家のジェイムズ・ジョイスが『ユリシーズ』[2]Ulysses、1922)で登場人物の「意識の流れ」(転々と思いついていること)を文章にしたが、ビート文学は自らの意識の流れるままに文章を書き朗読した。ジャズのエッセンス、即興(インプロビゼーション)、自由である。詩と詩的表現に溢れる小説、その朗読、何より彼らの生き様がアメリカの意識に革命をもたらした。
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もし、人々が確立された権威によって生成された全現実や、確立された合意上の共感覚的な現実に挑戦する自らの現実を生み出す事を始めれば、一体何が現実で何が現実でないかを主張する理念に対する根源的な挑戦が稼働するのです。(中略)
ティモシー・リアリーも一〇年ほど前からサイバースペースを研究しています。思えば一九六一年に、私が彼をケンブリッジに訪ねた時以来、彼のテーマは変わってはいません。彼はその当時LSDやメスカリンなどの実験を行っていましたが、我々はその種のドラッグによって実現される事は、他の方法でも可能であると考えたのです。
(「ウィリアム・バロウズインタビュー-共感覚的現実とサイバースペースの創造」武邑光裕・聞『ユリイカ』24(5)、1992年5月号。97-102ページより引用。)

キリスト病にかかって、汝THEE、時間に閉じ込められる。

主要人物

ウィリアム・S・バロウズ(William Seward Burroughs、1914年 – 1997年)は、計算機で一財産を作り上げた企業の子孫で、いろんな麻薬を調査した人物である。薬物中毒者の社会を描いた生々しい小説『ジャンキー』[3]で華々しくデビューした。自分の妻を誤って射殺した後書き始めた小説である[4]。パラノイアの交錯する小説を書き続け、文学はもちろん、音楽、映像カルチャーにも影響を与えた。代表作『裸のランチ』[5]は、発売当初、猥褻裁判にかけられた。

アレン・ギンズバーグ(Allen Ginsberg、1926年 – 1997年)は、代表作に1956年出版の詩集『吠える』(原題 HOWL[6]がある。『吠える』は当初、猥褻裁判にかけられたが、その後世界各国に翻訳された[7]

ジャック・ケルアック(Jack Kerouac、1922年 – 1969年)は、1957年出版の代表作『路上』[8]によって、バロウズに言わせれば、「一九五七年以降、ケルアックの『路上』は一兆のリーバイスと百万のエスプレッソコーヒー・マシーンの売り上げに貢献し、また同時に数限りない若者を路上に送り込んだ[9]」。『路上』はヒッチハイクで旅する若者を増やし、『仏法行脚』[10][11]はバックパッカーを増やした。

中心的なテーマは意識の変容で、バロウズは犯罪世界、ケルワックは仏教、ギンズバーグはチベット仏教のナロパ研究所を、ゲーリー・スナイダー瞑想(日本の禅)を通して、霊的な解放から素直さや正直さが生まれるとみなし[12]、意識の可能性を追求し続けた。

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バロウズ!

爆発の前夜

1930年代にウィリアム・S・バロウズは、ハーバード大学で英文学を専攻し、ウィーン大学の医学部に行くものの中断し、ハーバード大学院で考古学を専攻しマヤ文明などについて学ぶ[13](イギリスではマヤ・カレンダーで生活している)。その後、CIA(アメリカ中央諜報局)の前身のOSSに志願し不合格になったり、いろいろな仕事を転々とする[13]

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女優はコートニー・ラヴ。

1942年にバロウズはシカゴに行き害虫駆除員の仕事が好きになり8カ月続け、またゲイの二人、ルシアン・カーとカーを追っかけていたデヴィット・カメレアと出会った[14]。カーがカメレアから逃げるためにコロンビア大学へ入学したがカメレアも付いていき、バロウズも二人といると楽しいのでついていった[14]。1943年のクリスマス前にカーがコロンビア大学のアレン・ギンズバーグを連れてやってきて、さらに酒場に集まるコロンビア大学の生徒のグループと知り合いになりジャック・ケルアックとも知り合った[14]。ここに後にバロウズの妻になるジョーンも居た[13]

ヤマネコの絶滅の絶滅より先に、メガネザルが絶える。

1944年8月13日、カメレアがカーに「愛人にならなかったらお前を殺し自殺する」と脅迫して取っ組み合いになった結果、カーはカメレアを刺し殺してしまった[14]。カーは自首し、バロウズとケルアックは通報しなかったことで逮捕され、ニューヨークの新聞のトップ記事に[14]。ケルアックとバロウズは事件をもとにミステリー小説の『そしてカバたちはタンクで茹で死に』[15](『そしてカバは水槽の中でゆでられた』、And the Hippos Were Boiled in Their Tanks[16])を書いたが出版にはならなかった。(2008年、出版に至る)

バロウズはチンピラなどと付き合いだし、モルヒネ中毒になり1946年にはドラッグを手に入れようとした処方箋の文書偽造の罪で捕まり、身元引受人の父親のもとに送られてから、ニューオリンズで綿畑を経営する[14]。ギンズバーグとニール・キャサディがヒッチハイクしてやって来て、バロウズはマリファナも栽培していたためキャサディ―が3日間車を運転し続けてニューヨークに売りにいくがたいした儲けにならなかった[14]
バロウズはニューオリンズに移り、今度はヘロイン中毒になりお金が足りないので売人にもなり、逮捕されたが私立の治療所で中毒を治療したため拘留はされなかった[14]

1948年、ウィリアム・ブレイクの詩を読んでいたギンズバーグは不思議な感覚を味わい、同じ経験を繰り返そうと固執した[17]

1949年中ごろにはバロウズは心理学者ウィルヘルム・ライヒの著作を読みオルゴン・ボックスを造って効果を感じた[14]。(ウィルヘルム・ライヒはオーガズム時に放出される生命エネルギーをためてその恩恵を受けることができると主張した。)同年末、バロウズはメキシコに行きメキシコ・シティ大学でマヤとアステカの歴史を学び、またドラッグ中毒になる。ここで自伝の『ジャンキー』[3]を書いた。

1951年バロウズは愛人の男とヤヘ(別名アヤワスカというサイケデリックス・幻覚剤)を探しにエクアドルへ行くが見つからなかった。このときの顛末は後に純愛小説の『おかま』[18]として出版された。
1951年9月6日メキシコに帰ってきてすぐお金に困ったバロウズは銃を売ることにしたが、その際に妻ジョーンにウィリアム・テルごっこをやろうと言って頭の上に乗せたグラスに向かって撃つが、銃弾はグラスではなくジョーンにヒットしジョーンを射殺してしまう。バロウズは30年以上後に、ジョーンの死によってひたすら書くことしか逃げようがなかったと述べている。

そして、永遠にクソに閉じ込める。THE-THEE。

1951年ごろケルアックは仏教の書物を読みはじめ、ギンズバーグも50年代半ばからチベット仏教の経典である『チベット死者の書』を持つようになる[17]

ポエトリー、ビート

1955年9月にギンズバーグと禅に傾倒していたゲーリー・スナイダーが出会う[19]。1955年10月13日、サンフランシスコのシックス・ギャラリーでギンズバーグ、スナイダーなどが作品を朗読し、ケルアック自身が「サンフランシスコでポエトリー・ルネッサンスが誕生した夜」と述べる[20]。平和主義、自然回帰、エコロジー、東洋哲学といったエッセンスの入った作品を朗読し、その後のカウンターカルチャーの方向性をつくった。ギンズバーグが朗読した詩集『吠える』が出版され、ケルアックのアメリカ放浪を題材にした『路上』が出版され若者の心をとらえた。『路上』は1957年には50万部売れた[21]。1958年は放浪が増え「ビートニクの夏」と呼ばれ警察の取り締まりが厳しくなった[22]。ケルアックは自分や仲間をモデルに小説を書き、『路上』の主人公ディーン・モーリアティはニール・キャサディがモデルだった。

マリファナに対する取り締まりが激しくなっていく中、ニール・キャサディががマリファナの所持で逮捕され、ギンズバーグは法律を変えるよう行動を起こしていこうと思った[22]

意識の変革

1960年にはギンズバーグは、わたしも長年意識の変革を探求しているとして同じく意識の変革を探求していたハーバード大学の心理学者ティモシー・リアリーを訪ね、マジックマッシュルームの幻覚成分シロシビンの錠剤を服用すると、平和な世界を造ることについて思い巡らしその実現について語り合った[23]
1961年には、バロウズもティモシー・リアリーのもとを訪れ、あまり科学的でない研究にがっかりした[24]。そして、こう言い残した。「いいかね、化学薬品で手にはいる精神状態ってのは、どれもべつのやり方で手にいれることができるんだ(中略)だからドラッグってのは、トレーニング段階でハイになるのを早める手段として利用するだけなんだ[25]」「コンピュータだよ、君。脳の中の敵と味方の領域の正確な位置づけ。神経学的な移植。脳波発生器。バイオ・フィードバック[26]

スナイダーは日本の禅が外国人に門戸を開いていることを知り日本へ行き、京都で禅の修行をしながら仏教とエコロジーを統合した理論を唱えるようになる[19]

ハッサン・イ・サッバーの最後の言葉。THE-THEE。そし、てサッバーのことばもキャンセル。

1962年にギンズバーグはすでに日本で6年禅の修行をしていたスナイダーやほかの仲間を連れてインドへ行き精神修行をする[17]。ここでギンズバーグがLSDのバッドトリップのことについてチベット仏教のドゥジュム・リンポチェに話すと、そうした経験は瞑想中にも経験し、いいことが起きても悪いことが起きてもこだわらないことだという説明を受けて納得がいった[17]
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この絵はバロウズがアヤワスカを飲んで描いた(同書95‐97ページ。)アグリー・スピリットか?!

スナイダーは1963年には、日本で反体制的生活を実践していたナナオ・サカキとギンズバーグも会わせ、のちに日本の「部族」という集団に『オラクル』のようなヒッピーの情報源を提供した[19]

バロウズとギンズバーグは、オルダス・ハクスリーの『知覚の扉』[27]のようなサイケデリックスに関する著書が売れるということで、アヤワスカというサイケデリックスについて調査した時の手紙の遣り取りを『麻薬書簡』として出版している[28]。後で説明するカットアップという手法をバロウズに教えたブライオン・ガイシンは、ある日神がかり状態になって、「醜い霊アグリー・スピリットがジョーンを撃った」と自動書記をし、バロウズは自分の敵を知った[29]

ギンズバーグはベンジャミン・スポック博士とともに徴兵委員会の手続きを妨害し逮捕されたこともある[7]

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1962年に出版された小説『カッコーの巣の上で』[30]は、LSDによるアシッドテストというイベントを開催していたケン・キージーが書いた小説で、社会に適合できない主人公が精神病院に入れられそこでもトラブルを起こすというストーリー。ニール・キャサディは服役中に『カッコーの巣の上で』を読み、自分がその小説の主人公だと信じ込んでキージーのところにあらわれ[22]、サイケデリック調に施されたバスの運転手となった。ビートニクではないが、キャサディが関わったキージー周辺の状況は『クール・クールLSD交感テスト』[31]に詳しい。

1967年には、「ヒューマン・ビー・イン」が行われ、ギンズバーグやゲーリー・スナイダーがデモンストレーションを行い、集まった3万人の聴衆はLSDでトリップした[32]。ギンズバーグは「ビーインは『吠える』の預言が達成されるのを目撃したようなものだった[33]」と感想を語った。

同年、キージー一行はチベット仏教の法王であるダライ・ラマに会いに行く途中でキャサディが怪我をして行けなくなった[34]

許されざるものなし!汝のTHEEの声。

1968年にはニール・キャサディが、1969年にはケルアックが飲酒で体調を崩し死亡する。キージーはキャサディの魅力と彼の脆さについて述べる。

――キャサディはメキシコで亡くなったんですよね。何が起きたんですか?
Ken:彼は愛してくれる人たちから遠く離れ過ぎたんだよ。その時彼が一緒にいた者たちは彼のことを本当によく知らない者たちだった。キャサディはたまにいきすぎるところがあって、時には誰かの助けが必要だったんだ。彼をベッドに寝かせて彼がエネルギーを取り戻させることとかね。やつは自分が革命の一部だということも重要な役割を担っているということも分かっていて、常にその期待に答えられる行動もとろうとしていた。彼は精一杯生きていたよ。彼が周りにいるとほらあのバスの1シーンのようにね。テキサスの長い直線の道を騒々しく走っている間、彼は席から立ち上がると、動き回ると話をしたり、けったり、何かをしたり。ただ座っているだけでみんな彼に目を奪われて動けもしない。彼の存在そのものがどんなやつでも虜にしたんだ。
「trip」野村訓市・編集『sputnik-whole life catalogue』イデー、2000年。ISBN 978-4900940086。184-190ページより引用。

Magic Trip - Official Trailer [HD]
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キージーは晩年バロウズの著書を読んで人々が現実の奴隷であることを暴こうとしていたと気づいた。

僕は今ウィリアム・バロウズの本を読み直しているところなんだが、誰も気付いてないかもしれないが彼は最も偉大なアメリカ人作家の一人だと改めて思ったよ。バロウズが語っているのは……君は映画の『マトリックス』を見たかい? 彼はマトリックスについて語っていたんだが、人は現実の奴隷であり、そのことに気付かないし、知ろうともしないということを書いている。
「trip」野村訓市・編集『sputnik-whole life catalogue』イデー、2000年。ISBN 978-4900940086。184-190ページより引用。

『裸のランチ』

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1956年2月、バロウズはモルヒネ中毒を治すためロンドンへ行きアポモルヒネ治療を受けてから、タンジールに戻りマジューンというハッシッシ(大麻樹脂)入りのクッキーを食べて終始ぶっ飛びながら『裸のランチ』を書いた。「ヘヴィ・メタル」という言葉は、この小説から発生した。

ドリーム・マシン

1958年12月21日、バロウズと一緒に創作活動をしていたブライオン・ガイシン(ガイシンは神秘思想家G・I・グルジェフのもとで2年間修業したこともある[35])がバスに乗っていたとき、並木道で光があたったり木に遮られることが反復され、その結果、万華鏡のような色彩が浮かびトリップした[36]
バロウズらはこの体験をもとに、ドリーム・マシンという光が点滅する(フリッカーする)装置を作り出した。

これは、厚いボール紙の円筒にいくつもの穴をあけ、そのなかに電気と色彩の仕掛けを組み込み、それを七十八回転のターンテーブルの上に置いたものである。それが作動すると、ごたまぜのヴィジョンとカラーを浴びせかけながら回転し、視覚の妨げになるものを破壊し、脳細胞を変化させる。
(清水俊彦「カットアップ・マシーン」『ユリイカ』1992年5月号、122-132ページより引用。)

バロウズ・カットアップ3部作

バロウズによれば、『裸のランチ』[5]と『ソフト・マシーン』[37]で現代の病を診断し、『爆発した切符』[38]と『ノヴァ急報』[39]ではその治療法を示した[40]

その目的は『ノヴァ急報』に直接的に表れている。

 地球上の諸君、きみたちはみんな毒を盛られている。手元のモルヒネの蓄えを、すべてアポモルヒネに変えろ。化学者諸君、アポモルヒネ分子式の異性体と合成法を昼夜突貫で研究せよ。アポモルヒネはきみたちを解毒し、敵のビームをきみたちのラインから切り離せる唯一の薬物だ。アポモルヒネと沈黙。地球上の人々を、まがい物のクソで買い叩こうというこの陰謀に対し、わたしは完全抵抗を命じる。ノヴァ陰謀とそれに加担するやつら全員に対する抵抗を。
 わたしの著作の目的は、ノヴァ犯罪者どもを暴き、逮捕することだ。『裸のランチ』『ソフトマシーン』『ノヴァ急報』で、わたしはやつらが何者で何をやっていてやつらを逮捕しないと何をしでかすかを示す。
(W・S・バロウズ『ノヴァ急報』山形浩生訳、ペヨトル工房、1995年。ISBN 978-4893422170。13ページより引用。(原著 NOVA EXPRESS, 1980))

やつらは幻覚剤に毒をいれ、そいつを独占しようとしやがるんだ。化学薬品抜きでトリップできる術を開発しろ。
(マーティン・A.リー、ブルース・シュレイン『アシッド・ドリームズ-CIA、LSD、ヒッピー革命』越智道雄訳、第三書館、1992年。ISBN 978-4807492039。90ページより引用。(原著 ACID DREAMS The CIA, LSD and the Sixties, and Beyond, 1985))

カットアップ

カットアップはこれらの作品の中で頻繁に登場する手法であり、さまざま文章をバラバラにしたあと再びつなぎ合わせることで、管理社会の目的を暴き、積極的に打開しようとした[40]

第一の言葉を、第四の場所で、第二の言葉を第一の場所へ。言葉をキャンセル。

「言葉は、もちろん新聞によって用いられている、支配のもっとも強力な武器の一つだ、それにイメージも、新聞には言葉とイメージの両方がある……それをカットアップして並べ直してゆけば、支配するシステムを打ち破ることができる。」(『The Job』より。柳下毅一郎訳)
(『バロウズ・ブック(現代詩手帖特集版)』思潮社、1992年。ISBN 978-4783727415。5ページより引用。)

カットアップの影響

カットアップは、切り貼りした映像、音楽のMIX、バロウズは「パンクの父」の異名も持ち、ヴィヴィアン・ウエストウッドによるセックス・ピストルズの切り貼りのファッションなど広範に影響を与えたといわれる。ソニックユースやNIRVANAのカート・コバーンもバロウズのCDに参加している。イギリスでブレイクビーツを始めたDJのコールドカットもバロウズの影響を受けた[41]

私たちの手にしているものすべては実はものごとを切り刻むという同じプロセスのための道具なんです。それを行うやいなや、あなたはいわゆる現実というやつを操作しているわけで、自分だけの現実を築いているというわけです。(中略)だから私が興味あるのは私たちの選択による世界を築いてることが実感できるように、機械に影響を及ぼしたりテクノロジーに影響を及ぼしたり、プログラムしたりプログラムを解除したり、混乱させたりすることです。
(「ジェネシス・P・オーリッジインタビュー-カットアップによる世界の再構築」伊藤穣一・聞『ユリイカ』24(5)、1992年5月号。75-83ページより引用。)

フェードアウト

フェードアウトは、アイデンティを放棄することによる消極的な方法である[40]

入場切符を爆発させる

切符の爆発とは、現実らしきものは支配者によって映像化・言語化された幻影・幻覚であり、このアイデンティの喪失する状況への「入場切符を爆発」させ入場を拒否するという表現である[40]

ウエスタン・ランド-西方の地

1970年ぐらいに、ギンズバーグはチョギャム・トゥルンパのもとでチベット仏教に傾倒していき、1974年にはコロラド州にナロパ・インスティチュートを設立する[42]。アメリカ初の仏教機関として設立されその後仏教大学となった[43]。そこに「ジャック・ケルアック・スクール・オブ・ディスインボディード・ポエティックス」を設けて有名な作家がライティングを教えた。

1975年にはフーコー、ドゥルーズ、バロウズなどを集めた「スキゾ・カルチャー・コンベション」、1978年には3日間の 「ノヴァ・コンベション」という講義、討論会、映画上映、展覧会、ロック・コンサートを行ってそれぞれにバロウズが顔を出した[44]

ハッサン・イ・サッバーの最後の言葉。

1975年にピューリッツァー賞を受賞したスナイダーの『亀の島』[45]は、自然を資源と考える自己破壊的な西洋文明を批判し、内面と自然に対する知識探求の必要性を説いた。

fashion(1988) ウィリアムバロウズのショットガンペインティング
fashion(1988, William Burroughs)[46]

バロウズは妻を射殺したにもかかわらず、銃に興味を持ち続け、1980年代からはスプレー缶にショットガンを打ちこんでキャンバスに描く「ショットガン・ペインティング」を行った。予測可能な模写ではなく、予測不可能な描き方で未知の扉を開こうとした。

カルロス・カスタネダの著作の中でドン・ファン師は、トーナル・ユニバースとナグアル・ユニバースとの相違を述べている。トーナル・ユニバースとは、日常の生活に見られる因果関係のユニバースであり、あらかじめ記録されているがゆえに予測は可能である。(中略)ナグアル・ユニバースに入るには、偶然の扉が開かれていなければならない。
(バリー・マイルス『ウィリアム・バロウズ-視えない男』飯田隆昭訳、ファラオ企画、1993年。ISBN 978-4894090491。347ページより引用。(原著 WILLIAM BURROUGHS El Homble Invisible, 1992))

ランダマイズド・トライアル。

晩年

晩年のギンズバーグはドラッグは必要ないと述べた[47]
ギンズバーグはナロパで出会ったケン・ウィルバーの坊主頭を幸せそうにこすった[48]。バロウズは晩年になってもオルゴン・ボックスに入りそのおかげで調子がいいと述べた[49]

アグリー・スピリッツ

1992年3月、バロウズはスー族の呪術師にアグリー・スピリッツを追い払ってもらうことにした[50]。儀式の後、呪術師はこれまで最強の邪悪な霊で危うかったといい、「青白く、髑髏のような顔をしているが、目はなく、翼のようなものをはやしていた」とのことだった[51]

そのようなものを何度も描いた絵の中で見たというバロウズに、ギンズバーグはその性質を詳しく質問し、バロウズはこう答えた。

いうなれば、アメリカの貪欲にこりかたまった悪の階層だ。独占的で、貪欲な悪党どもだ。醜悪きわまりない。醜いアメリカ人だ。醜さが最悪に達した醜いアメリカ人だ。それがやつらの実態だよ
(バリー・マイルス『ウィリアム・バロウズ-視えない男』飯田隆昭訳、ファラオ企画、1993年。ISBN 978-4894090491。363ページより引用。(原著 WILLIAM BURROUGHS El Homble Invisible, 1992))

サッバーは最後に述べる。「すべて許されている」!ハッサン・イ・サッバー!H・I・S!

支配、コントロール、権力の構造を暴こうとし、常にそれらと戦い続けてきた、
ギンズバーグ、ケルアックとキャサディー、ナナオとスナイダー、バロウズとジョーンの冥福を祈る。

HIS!!

参考文献

外部リンク

脚注

  1. ^「解説」ジャック・ケルアック『オン・ザ・ロード』青山南訳、河出書房新社、2007年。ISBN 978-4309709413。431-445ページ。(原著 ON THE ROAD
  2. ^ジェイムズ・ジョイス『ユリシーズ1』≪集英社文庫ヘリテージシリーズ≫丸谷才一訳、永川玲二訳、高松雄一訳、集英社、2003年。ISBN 978-4087610048。(原著 Ulysses
  3. ^^ウィリアム・バロウズ『ジャンキー』鮎川信夫訳、《河出文庫》 、2003年。ISBN 978-4309462400。(原著 Junky
  4. ^「解説」ウィリアム・バロウズ『ジャンキー』鮎川信夫訳、《河出文庫》 、2003年。ISBN 978-4309462400。284-285ページ。(原著 Junky
  5. ^^ウィリアム・バロウズ『裸のランチ』《河出文庫》、鮎川信夫訳、2003年。ISBN 978-4309462318。(原著 The Naked Lunch
  6. ^アレン・ギンズバーグ『ギンズバーグ詩集-増補改訂版』諏訪優訳、思潮社、1991年。ISBN 978-4783724216。に収録。
  7. ^^デビッド・ジェイ・ブラウン、レベッカ・マクレン・ノビック『内的宇宙の冒険者たち-意識進化の現在形』菅靖彦訳、八幡書店、1995年。ISBN 978-4893503206。384ページ。(原著 MAVERICKS OF THE MIND, 1993)
  8. ^ジャック・ケルアック『路上』《河出文庫 》福田稔訳、2000年。ISBN 978-4309460062。(原著 on the road, 1957)
  9. ^バーニー・ホスキンズ『ダイヤモンド・スカイのもとに』飯田隆昭訳 太陽社、2004年。21ページより引用。ISBN 978-4884680503。(原著 BENEATH THE DIAMOND SKY: Haight-Ashbury, 1965-1970, 1997)
  10. ^J.ケルーアック『禅ヒッピー』小原広忠訳、太陽社、1975年。ISBN 978-4884680220。(原著 THE DHARMA BUMS
  11. ^ジャック・ケルアック『ザ・ダルマ・バムズ』中井義幸訳≪講談社文芸文庫≫2007年。ISBN 978-4061984899。(原著 THE DHARMA BUMS
  12. ^デビッド・ジェイ・ブラウン、レベッカ・マクレン・ノビック『内的宇宙の冒険者たち-意識進化の現在形』菅靖彦訳、八幡書店、1995年。ISBN 978-4893503206。394ページ。(原著 MAVERICKS OF THE MIND, 1993)
  13. ^^^山形浩生「ウィリアム・バロウズ/履歴書」『ユリイカ』24(5)、1992年5月号。172-186ページ。
  14. ^^^^^^^^^バリー・マイルス『ウィリアム・バロウズ-視えない男』飯田隆昭訳、ファラオ企画、1993年。ISBN 978-4894090491。(原著 WILLIAM BURROUGHS El Homble Invisible, 1992)
  15. ^ジャック・ケルアック、ウィリアム・バロウズ『そしてカバたちはタンクで茹で死に』山形浩生訳、河出書房新社、2010年。ISBN 978-4309205397。(原著 And the Hippos Were Boiled in Their Tanks
  16. ^William S. Burroughs, Jack Kerouac. And the Hippos Were Boiled in Their Tanks, 2008, ISBN 0802118763
  17. ^^^^アレン・ギンズバーグ「わたしにとって東洋とは」片桐ユズル訳『総特集アレン・ギンズバーグ (現代詩手帖特集版)』思潮社、1997年。ISBN 978-4783727576。178-187ページ。
  18. ^ウィリアム・S・バロウズ『おかま』山形浩生訳、柳下毅一郎訳、ペヨトル工房、1988年。ISBN 978-4893420770
  19. ^^^山里勝己『場所を生きる-ゲーリー・スナイダーの世界』山と溪谷社、2006年。ISBN 978-4635419994
  20. ^バーニー・ホスキンズ『ダイヤモンド・スカイのもとに』飯田隆昭訳 太陽社、2004年。ISBN 978-4884680503。18ページ。(原著 BENEATH THE DIAMOND SKY: Haight-Ashbury, 1965-1970, 1997)
  21. ^『銀星倶楽部』1987年、7号。101ページ。
  22. ^^^マーティン・トーゴフ『ドラッグ・カルチャー-アメリカ文化の光と影(1945~2000年)』宮家あゆみ訳、清流出版2007年。ISBN 978-4860292331。(原著 Can’t Find My Way Home, 2004)
  23. ^ティモシー・リアリー『フラッシュバックス-ティモシー・リアリー自伝』山形浩生訳、久霧亜子訳、明石綾子訳、森本 正史訳、松原永子訳、1995年。ISBN 978-4845709038。70-77ページ。 (原著 FLASHBACKS 2nd edition, 1990 1ed:1983)
  24. ^ティモシー・リアリー『フラッシュバックス-ティモシー・リアリー自伝』山形浩生訳、久霧亜子訳、明石綾子訳、森本 正史訳、松原永子訳、1995年。147ページ。ISBN 978-4845709038。 (原著 FLASHBACKS 2nd edition, 1990 1ed:1983)
  25. ^マーティン・A.リー、ブルース・シュレイン『アシッド・ドリームズ-CIA、LSD、ヒッピー革命』越智道雄訳、第三書館、1992年。ISBN 978-4807492039。90ページより引用。(原著 ACID DREAMS The CIA, LSD and the Sixties, and Beyond, 1985)
  26. ^ティモシー・リアリー『フラッシュバックス-ティモシー・リアリー自伝』山形浩生訳、久霧亜子訳、明石綾子訳、森本 正史訳、松原永子訳、1995年。147ページより引用。ISBN 978-4845709038。 (原著 FLASHBACKS 2nd edition, 1990 1ed:1983)
  27. ^オルダス・ハクスリー『知覚の扉』河村錠一郎訳、平凡社ライブラリー、1995年。ISBN 978-4582761153。(原著 The Doors of Perception, 1954. Appendixes of Heaven and Hell, 1956)
  28. ^「訳者あとがき」ウィリアム・バロウズ、アレン ギンズバーグ『麻薬書簡-再現版』山形浩生訳、《 河出文庫》、2007年。ISBN 978-4309462981。205-206ページ。
  29. ^バリー・マイルス『ウィリアム・バロウズ-視えない男』飯田隆昭訳、ファラオ企画、1993年。143ページ。ISBN 978-4894090491。(原著 WILLIAM BURROUGHS El Homble Invisible, 1992)
  30. ^ケン・キージー『カッコーの巣の上で 改訳新版』岩元巌訳、冨山房、1996年。ISBN 978-4572008534(原著 One Flew over the Cuckoo’s Nest
  31. ^トム・ウルフ『クール・クールLSD交感テスト』飯田隆昭訳、太陽社、1996年。ISBN 978-4884680183。(原著 The Electric Kool-Aid Acid Test
  32. ^マーティン・トーゴフ『ドラッグ・カルチャー-アメリカ文化の光と影(1945~2000年)』宮家あゆみ訳、清流出版2007年。ISBN 978-4860292331。300ページ。(原著 Can’t Find My Way Home, 2004)
  33. ^マーティン・トーゴフ『ドラッグ・カルチャー-アメリカ文化の光と影(1945~2000年)』宮家あゆみ訳、清流出版2007年。ISBN 978-4860292331。300ページより引用。(原著 Can’t Find My Way Home, 2004)
  34. ^「trip」野村訓市・編集『sputnik-whole life catalogue』イデー、2000年。ISBN 978-4900940086。184-190ページ。
  35. ^「ジェネシス・P・オーリッジインタビュー-カットアップによる世界の再構築」伊藤穣一・聞『ユリイカ』24(5)、1992年5月号。75-83ページ。
  36. ^バリー・マイルス『ウィリアム・バロウズ-視えない男』飯田隆昭訳、ファラオ企画、1993年。230‐231ページ。ISBN 978-4894090491。(原著 WILLIAM BURROUGHS El Homble Invisible, 1992)
  37. ^ウィリアム・バロウズ『ソフトマシーン』《河出文庫》、山形 浩生訳、柳下毅一郎訳、2004年。ISBN 978-4309462455。(原著 The Soft Machine,)
  38. ^ウィリアム・S・バロウズ『爆発した切符』《サンリオSF文庫》 飯田隆昭訳、1979年。ASIN B000J8JA1S。(原著 The Ticket That Exploded, 1967)
  39. ^W・S・バロウズ『ノヴァ急報』山形浩生訳、ペヨトル工房、1995年。ISBN 978-4893422170。(原著 Nova Express, 1980)
  40. ^^^^「訳者あとがき」ウィリアム・S・バロウズ『爆発した切符』《サンリオSF文庫》 飯田隆昭訳、1979年。ASIN B000J8JA1S。294-298ページ。(原著 The Ticket That Exploded, 1967)
  41. ^川端隆之「カットアップの過去、現在、未来」『現代詩手帖-追悼特集ウィリアム・バロウズ』1997年11月。92‐95ページ。
  42. ^重松宗育「私のアレン・ギンズバーグ」『総特集アレン・ギンズバーグ (現代詩手帖特集版)』思潮社、1997年。ISBN 978-4783727576。70-76ページ。
  43. ^阿部聡子「ナロパでのアレン・ギンズバーグ」『総特集アレン・ギンズバーグ (現代詩手帖特集版)』思潮社、1997年。ISBN 978-4783727576。102-113ページ。
  44. ^梅沢葉子「ウィリアム・バロウズのこと」『バロウズ・ブック(現代詩手帖特集版)』思潮社、1992年。ISBN 978-4783727415。39-49ページ。
  45. ^ゲーリー・スナイダー『亀の島-対訳』ナナオ・サカキ訳、山口書店、1991年。ISBN 978-4841107692
  46. ^『ユリイカ』24(5)、1992年5月号、青土社。105ページより引用。
  47. ^アレン・ギンズバーグ、吉増剛造、ナナオ・サカキ、金関寿夫「ポエトリ・リーディングをめぐって」『総特集アレン・ギンズバーグ (現代詩手帖特集版)』思潮社、1997年。ISBN 978-4783727576。190-205ページ。
  48. ^ケン・ウィルバー『ワン・テイスト-ケン・ウィルバーの日記〈下〉」青木聡訳、コスモスライブラリー、2002年。ISBN 978-4434021374。14-15ページ。(原著 ONE TASTE
  49. ^浅田彰、武邑光裕、山形浩生「疾走し続ける実験者、バロウズ」『バロウズ・ブック(現代詩手帖特集版)』思潮社、1992年。ISBN 978-4783727415
  50. ^バリー・マイルス『ウィリアム・バロウズ-視えない男』飯田隆昭訳、ファラオ企画、1993年。ISBN 978-4894090491。357ページ。(原著 WILLIAM BURROUGHS El Homble Invisible, 1992)
  51. ^バリー・マイルス『ウィリアム・バロウズ-視えない男』飯田隆昭訳、ファラオ企画、1993年。ISBN 978-4894090491。362‐363ページ。(原著 WILLIAM BURROUGHS El Homble Invisible, 1992)

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