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瞑想(マインドフルネス)・ヨガ・座禅


瞑想(meditation)とは、たとえば呼吸に注意を集中することによって意識を穏やかにする手法であったりとさまざまに種類があり、最終的にはものごとをあるがままに捉えることを目指す。座禅やヨガは瞑想の一種である。呼吸に注意を集中する方法は、瞑想の入り口でもありゴールでもある。方法を大きく分けると、イメージを行い感情を変化させる瞑想、イメージやものに集中し精神を静かにする瞑想、マインドフルネスと呼ばれる何ごとも静かに注意深く観察する瞑想に大別される。
マインドフルネス(mindfulness)とは、現在、瞬間的に起こっている外部の事柄や内部の経験を随時観察していくという心のはたらきを意識的に働かせることである[1]。マインドフルネスは、瞑想の一種である。マインドフルネスを意識的に行っていくことで、いつしかそれに集中した状態になり、さらに熟練することで集中状態から瞑想状態へと移り、心は澄み平穏となる[1]。あれこれ彷徨っていた思考が静かになる。
無神論である仏教による瞑想や、瞑想によって神との合一を図るさまざまな潮流は、神と天国をわけのわからない外部に想定するなどということをしない伝統である。世界の宗教対立を止める世界平和原理・宗教観統一原理の一端をこの分野が担っている。

ここ数年、マインドフルネスな意識状態は心理学の分野で治療・臨床への応用が盛んである。同じくここ数年、臨床への応用が心理学でも模索される「根拠に基づいた医療」とも重なって科学的な有効性が報告されており、面白くなっている分野だ。精神医療の専門家向けの著作に『マインドフルネスストレス低減法』[2]、『マインドフルネス認知療法-うつを予防する新しいアプローチ』[3]、『マインドフルネス&アクセプタンス-認知行動療法の新次元』[4]、『自傷行為治療ガイド』[5]、自助的に自分が実践する本として、『10分間瞑想健康法-日々の不安・うつ・パニックがとけていく!!』[6]、境界性人格障害向けの『自傷行為とつらい感情に悩む人のために』[7]、摂食障害向けの『食も心もマインドフルに』[8]などがある。
アメリカ軍の兵士がストレスに対処するためにも用いられている[9]

ハーバード大学医学部のハーバート・ベンソンらは、リラクセーション反応が疼痛や不妊、関節リウマチ、不眠が原因の病気に有効であることを示してきており、1日1回20分のリラクセーションがストレス予防に役立つとしている[10]。ベンソンらは、瞑想によって遺伝子の活性化パターンが変化することを観測し、長期実践者では2209遺伝子、8週間の訓練者は1561遺伝子に発現の変化が見られた[11]。遺伝子の変化によってストレスに対する反応が変わる[10]

寺があり仏教僧が禅を行うことを知っている日本において馴染みのある仏教は、心の性質について系統だった分析体系を持っているのでここから本題に接近していく。


クリシュナムルティ人を助ける智慧、その智慧を指導する意思、その意思に靈氣を興える愛はこれこそ、諸子の資格なのである[12]
桜沢如一心の『眼』で觀るのと、肉体の『目』で見るのとの違ひであります。宮本武藏の所謂「見の目弱く、觀の眼強くであります」[13]
ケン・ウィルバー要は、観想のうちに「滅す」ことが必要とされるのは、心ではなく意識と心の排他的な同一性である[14]

瞑想の効果のあらわれ方

自傷行為の治療の専門家で、治療のためにさまざまな種類のマインドフルネス呼吸法を重視して用いているウォルシュ医師は、瞑想の最初の数分間は気が散りやすいが10分も経てば穏やかな意識状態になると述べている[5]。少し補足するが、手首を切るリストカットなどをはじめとした自傷行為は、若年者が切って自殺した割合は0.4%しかなくしかも相当深く切らなければならないためにまず死に至る可能性がないので自殺と区別され、ストレスに対処するために自傷行為が反復されるため代替手段として健全な感情調節の方法が必要となるわけである[15]

落ち着いた精神状態は、精神に平穏をもたらすだけでなく、心拍数を下げ心臓疾患へとつながる心臓への負担を減らし、ウイルスやがん細胞などを攻撃するナチュラルキラー細胞(NK細胞)などを活性化させる。

脳科学

有田秀穂は呼吸の研究における専門家で、東京大学医学部を卒業し、脳神経の基礎研究を行ったり、内科医を7年ほどやった後、ニューヨーク州立大学へ留学しているが、こうして30年以上も呼吸について研究している人物である[16]。脳波について少し図解説します。周波数をあらわすHzはヘルツと読みます。

脳波
種類 帯域 説明
ベータ波 13Hz~ 覚醒、行動、興奮。
アルファ波 8~13Hz 覚醒、閉眼、リラックス、瞑想。
シータ波 4~8Hz 入眠、深い瞑想。記憶力やチェスの世界チャンピオンはここまで落ち着いて思考する[17]
デルタ波 ~4Hz 通常では熟睡。瞑想[18]

呼吸法も瞑想も知らない学生に対して、有田秀穂は通常の呼吸である肺の横隔膜による呼吸ではなく、腹筋によるゆっくりとした呼吸を指示し脳波を計測すると、通常時にはベータ波であった脳波に5~6分後にはアルファ波が混じってきて、10分も経つとアルファ波の頻度と時間が増えた[19]。(呼吸はこのようにコントロールするか、あるがままの生理的呼吸に任せるかは経験によって変化させてもいい。)有田秀穂は、これを瞑想状態における「速いアルファ波」と呼んでいるが、「速いアルファ波」は単に目を閉じただけで出てくるアルファ波であるリラックスして眠気があらわれる脳波とは違い、爽快感を伴った眠気のない意識状態を示している[20]。(注・海外では、瞑想状態のアルファ波を「スローなアルファ波」と呼ぶ[18])座禅の熟練者はこのような状態により早く入り、かなりの高僧ともなるとさらに深い状態を示すシータ波も出てくる[19]

表情に関する心理学的権威であるポール・エクマンが行った仏教僧を対象とした実験では、瞑想の前後には恐怖感を感じたときに機能する脳の小脳扁桃が危ないというメッセージを出さず、仏教僧は何が起きてもほとんどど動揺しなくなった[21]。突然、爆音を聞かせるという実験だが、驚愕の表情を隠すことはこれまで射撃の名手を含め1人も確認できていなかったが、仏教僧では驚きによって上昇すると思われた心拍数と血圧は逆に低下した[22]
ほかの研究では、被験者のロバートの脳の方向関連領域(OAA)の活動が減少し、ロバートは自分の体の境界線を感じていないことを示した[23]。ロバートにそのときの心理状態について訊ねると「まるで自分がまわりに存在するすべての物や人々の一部になったような感じでした。すべてとつながっているという感覚でした[23]」と応えた。
同様に仏教僧を対象に実験を行ったリチャード・デヴィットソンによれば、特に思いやりを育てる「あわれみの瞑想」をしているときに、幸福感を示す脳の左の前頭葉前野が、不安感を示す右の前頭葉前野よりも活性化され[24]、ほかの被験者150名より極端に活発であった[25]。この活性が反対側の右側に強く偏ったとき臨床的にうつ状態などとされる[24]。他人の幸福を願うその本人が幸福になるという科学的根拠である[24]。仏教徒のシャンティディーヴァは以下のように経典に残している。

この世における一切の幸福は他人に幸福をもたらしたいという望みから生じ、この世における一切の苦は自分に幸福を望む心から生じる
(ダライ・ラマ十四世テンジン・ギャツォ『ダライ・ラマ日々の瞑想』三浦順子訳、 講談社、1999年。ISBN 978-4062087230。81ページより引用。(原著 Cultivating a Daily Meditation, 1991))

瞑想熟練者は、前帯状皮質を強化し身体的な痛みに対する感受性が低下していたという報告もある[26]

再び、有田秀穂による解説に戻る。脳には脳幹という睡眠や覚醒など基本的な機能を提供する多くの生物が共通して脳に持っている部位と、大脳皮質という人間の理性を司る部位がある[27]。脳幹には呼吸を維持するための呼吸中枢があり、呼吸は心の状態と密接に関係している[28]。呼吸法とは、大脳皮質のはたらきを調節する神経回路を脳幹によって働かせ意識のレベルをコントロールする方法で、身体に注視して言語や計算機能を無視する方法だとしている[27]

『奇跡の脳』[29]の著者、脳科学者のジル・ボルト・テイラーは、脳卒中によって言語と計算を司る左脳の部位を損傷し言葉を認識できなくなったが、同時に自分と他者との境界が消えて水のようにつながっていると感じ、それは普段は抑制されている右脳の機能だと考えた。瞑想によって休める脳の機能が強制的に損なわれたので、瞑想と同じような意識の状態が開発されたのではないだろうか。

クリシュナムルティに導かれて瞑想をはじめ、東西の意識のマップを作り上げたケン・ウィルバーは以下のように指摘している。

こういった自我的変換は、ふつう、言語的思考や概念(それにそういった思考に対する情緒反応)によって構成されている。したがって、瞑想は、まず微細レベルの変容へ至る道を切り開くために、概念的な変換作業を中断する方法からなっている。
 本質的に、これは現在の変換をいきづまらせ、新たな変容を鼓舞することを意味する。
(ケン ウィルバー『アートマンプロジェクト-精神発達のトランスパーソナル理論』吉福伸逸訳、菅靖彦訳、プラブッダ訳、春秋社、1986年。ISBN 978-4393360026。206ページ。(原著 The Atman Project, 1980))

これらを脳科学的に観測した説明として、ジル・ボルト・テイラーが、以下のように言語中枢が鎮まった後、位置状態を認識している脳の部位も鎮まると自分自身を流体のように認識すると述べている。

チベットの僧侶とフランシスコ会の修道女が、SPECT装置の中で瞑想あるいは祈るために招かれました。彼らは、瞑想のクライマックスに達するか神と一体になったと感じたときに、ひもを引くように指示されました。こうした実験によって、脳の中の非常に特殊な領域で、神経学的な活動が減少することが明らかになりました。まずはじめに、左脳の言語中枢の活動の減少が見られ、脳のおしゃべりが減少します。次に、左脳の後部頭頂回にある方向定位連合野の活動の減少が見られました。この部分は、その人の肉体の境界の判別に役立っています。
(ジル・ボルト・テイラー『奇跡の脳』竹内薫訳、新潮社、2009年。ISBN 978-4105059316。167ページより引用。(原著 My STROKE of INSIGHT, 2006)強調は筆者まぼろしによる。)

脳を機能させる神経伝達物質

脳と感情は神経伝達物質の流れによって調節されている。それらの物質のうち4つを簡単に説明すると、快感に関連するドーパミン、ストレスに関係するノルアドレナリン、分泌する部位が損傷すると痴呆になるアセチルコリンがあるが、それらの分泌を抑制するのがセロトニンである[30]。座禅を継続すると、座禅をしていないときでもセロトニン神経の活性が高い状態となり、欲やストレスをコントロールできるようになり、記憶を制御している脳の海馬という部位にも抑制をかけるため、細かいことが気にならないようになり、外部から入ってくる事象も好き嫌いなくを受け流せるようになる[31]

有田秀穂によれば、セロトニン合成のために必要なトリプトファンという栄養素は、動物性のたんぱく質を摂取しないことで脳に取り込まれやすい[32]。おそらくアミノ酸のBCAAのバランスでトリプトファンが取り込みやすいといったことです[33]。スポーツ栄養学では、長時間運動することでセロトニンが増えすぎて集中力が散漫になるのを防ぐために、BCAAを摂取してセロトニンをとりこまれにくくします。

セロトニンの分泌が慢性的に減った状態が、うつ病である。瞑想中に魔境といって、幻覚を見ることがある。こちらの魔境はセロトニンが増えすぎた状態、あるいはセロトニンを伝達するセロトニン・レセプターという取り入れ口が増えた状態である。NHKでやっていたのですが、山にこもって断食をしながらお経唱える行者が幻覚を見たときセロトニン・レセプターの数が2倍に増えていました[34]。セロトニンと同じような刺激を脳に起こすサイケデリックスのLSDを摂取したときなどにも幻覚を見る[35]

意識の到達モデル

魔境はさらなる境地への通過点である。

こういった微細な音や光明は報身サンボガカーヤの到達目標であるが、法身ダルマカーヤはそれらをすべて魔境(あるいは劣った産物)とみなす。
(ケン ウィルバー『アートマンプロジェクト-精神発達のトランスパーソナル理論』吉福伸逸訳、菅靖彦訳、プラブッダ訳、春秋社、1986年。ISBN 978-4393360026。215ページ。(原著 The Atman Project, 1980))

ケン・ウィルバーによる意識モデル[36][37][38]
領域 仏教用語 説明
粗大グロス 応身ニルマーナカーヤ 通常の意識レベル。五感と感覚にとらわれた心、思考。多くの西洋心理学が扱うレベル。
微細サトル 報身サンボーガカーヤ 神秘主義。自己を超えたトランスパーソナルの最初の段階。粗大領域はしばしば認識さえされない。神聖な形、至福、光や音、体外離脱、超感覚的知覚、高次の存在、神的ビジョン、シャーマンが出入りするレベル、霊感。
元因コーザル 法身ダルマカーヤ 無形神秘主義。純粋な空。非顕現。停止。光明。完全なる光輝への解放、神の開示と同一化。慈悲のみ。
非二元ノンデュアル
究極アルティメット
自性身スヴァバーヴィカカーヤ 上記3状態にすべてに触れている。色即是空。ワン・テイスト。トゥーリヤティータ。
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【驚異の小宇宙】脳と心Ⅵ 06

沖縄のユタと呼ばれる、カミダーリ(神懸かり)を起こす人々の脳波の測定。右脳がイメージを、左脳が言語を得意とするという発見は神経科学者ロジャー・スペリーの発見で、1981年にノーベル生理学・医学賞を受賞している。

瞑想の頻度と意識の深度

ウォルシュ医師は、効果をあげるためにどんな方法でもいいが週3回以上1回につき20分間の瞑想をすすめている[5]。臨床経験によるウォルシュ医師の経験則では、1~2ヶ月のあいだ毎日15~20分間の練習をすることで、ある程度精神疾患に用いることができるほどに上達し、数ヵ月後では好ましい効果にまで上達する[39]。有田秀穂は、3ヶ月間ほど座禅を継続すれば効果を実感できると述べている[40]

瞑想が熟達するにつれ次第に、仏教用語で「喜悦あるいは」(ピーティ)という状態に入り、とても興奮の混じったエネルギーに満ちた感じになる[41]。さらに熟達すれば喜悦の次に、「」(スカ)という状態に入り、強い充足感、エクスタシーを感じるようになるが、さらに熟達すれば少し意識しただけでスカの状態に入ることができるようになる[41]。ただし、これらはさらに修業を積んで乗り越えられていく感覚である。

ケン・ウィルバーは仏陀の本性、キリストの意識を知るためには、1から10まで呼吸を数える瞑想を、5年間ほど毎日2時間やってから私をもう一度訪ねてほしいとインタービュアーに応えている[42]。この数える瞑想は数息観(すそくかん)という瞑想の初歩的なもので心を落ち着かせる作用がある。日本の禅の文脈では、「ひとー」と心で数えながら息を吸い、「つーー」と数えながら息は吐き出すというように行い、次に「ふたーーつーー」、「じゅーーうーー」まで言ったら「ひとーつーー」に戻るというように行う。同じような手法で同じ言葉を繰り返す方法は、マントラ(真言)を唱える瞑想である。ウィルバー自身は、毎朝4時から1、2時間の瞑想を行うが、高いレベルである非二元的な意識に到達するのに20年の瞑想修行を要している[43]
心理学者のティモシー・リアリーがインドで出会ったチベット仏教の修行僧は『チベットの死者の書』[44]に書いてある意識の状態に達するのに13年間の瞑想修行をしている[45]
チベット仏教の指導者であるダライ・ラマ法王14世によれば、瞑想に熟達すれば何時間でもできるが、初心者は1回につき30分~1時間の瞑想をできるだけ多い回数で行い、経典によれば瞑想は朝2回と午後2回の1日4回だが、6回にまで増やしてもいいと述べている[46]。ダライ・ラマ自身の朝に形式的な瞑想を行う時間は、3時半に起床した直後から4時半か5時にとる朝食までの間と、8時から1時間半行う特別な瞑想である[47]。時間がとれれば1日4時間の瞑想を行い、死に備えて、死・中有・再生の瞑想も1日8回行う[48]
覚者であるクリシュナムルティはある時期、毎朝30分間の瞑想を行ったとき劇的に効果を得た[49]

仏教

仏教は、貪欲(とんよく、欲望)、瞋恚(しんい、怒り)、無明(むみょう、あるいは痴:ち、真理を知らないこと)という人をわずらわせる煩悩(ぼんのう、この3つの煩悩は根本煩悩の貪瞋痴:とんじんち:と呼ぶ)からの解放(悟り、解脱、涅槃などとも言う)を目指して、精神を修行する教えである。ダライ・ラマ法王の説明に頼ろう。

仏教徒の見方では、憎しみ、怒り、欲望は、苦しみをもたらす感情です。これを「煩悩」といいます。(中略)仏教の世界観にしたがえば、煩悩の原因は過去に培われた習慣にあります。(中略)いつまでも放置しておけば、そうした感情はさらに強くなり、悪い影響をますます強めていきます。したがって精神修行とは、これらの感情を制御し、その力を弱めるプロセスなのです。(中略)また、私たちの心は一連の反応パターンをもっています。
(ダライ・ラマ14世テンジン・ギャツォ『世界平和のために』《ハルキ文庫》、塩原通緒 訳、角川春樹事務所、2008年。ISBN 978-4758433532。41-42ページより引用。(原著 AN OPEN HEART, 2001))

このように条件付けられた苦しみをもたらす感情と反応のパターンから抜け出す精神修行が仏教である。

仏教の初期(ダンマパタやスッタニパータなどの経典が初期のもの)から、苦しみの生じ方、苦しみの止滅の方法に重点が置かれ、眼・耳・鼻・舌・身から感ずるいわるゆる五感と意(心)の六カ所(六処、あるいは六根)から感受されるものはすべて無常であり、つまり滅びてしまうものであるから、この六処の感受に貪欲に執着することが苦しみの原因であり、執着からはなれよと、この世の現象の事実をそのままに説いた教えが一貫している[50]。決して生の喜びを放棄するような否定的な方法ではなく、精神修行により研ぎ澄まされた細かな変化や感覚に気づく能力はものごとを深く感じる豊かさをもたらし、過度な期待や際限のない貪欲さ、否定的な迷妄から開放されより精神は自由になる。

色(しき)と認識と空(くう)

(しき)は客観的に起こる現象をあらわし、六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)を通して認識できる対象である。が、色を六根で受けること。そして、として、想念、イメージが生まれる。(Sankahra、修業を意味する行はPatipadaの訳)というなんらかの意思的な形成によって。、認識が起きる。(くう)は、このように認識を限定していない状態となる。目では認識対象を視覚に入れてから180ミリ秒で脳波に変化が表れる[51]

般若心経(はんにゃしんぎょう)にこうある。

色即是空しきそくぜくう
色は空であり。
空即是色くうそくぜしき
空は色である。
受想行識じゅそうぎょうしき
受も、想も、行も、識も、
亦復如是やくぶにょぜ
ごとく。

心と生命会議

ダライ・ラマ法王は、仏教の心に関する伝統知の深さをもとに西洋の先端の科学研究者と共に心についての対話を深めてきた。この対話は著作としても出版され1987年の第1回目の「心と生命会議」を収録した『徹底討議 心と生命-「心の諸科学」をめぐるダライ・ラマとの対話』[52]、「感情と健康」をテーマとした3回目の会議を収録した『心ひとつで人生は変えられる』[53]、2000年に開催された8回目の会議を収録した『なぜ人は破壊的な感情を持つのか』[54]が出版されている。会議の発足には、第3者の観測ではない1人称の体験報告も十分に科学的に研究できると唱えたフランス国立科学研究センター研究長のフランシスコ・ヴァレラがかかわり、以降はアメリカで『EQ-心の知能指数』[55]によって感情教育の重要性を唱えたダニエル・ゴールマンも会議に深くかかわっている。ダニエル・ゴールマンは『瞑想経験の諸相』[56]など瞑想に関する著作も出しているが邦訳がないのが残念である。

テーラワーダ仏教・ヴィパッサナー瞑想

テーラワーダ仏教上座部仏教、じょうざぶぶっきょう)で行われるヴィパッサナー瞑想は、マインドフルネス(以降はおよび気づきと書く、サティ)という瞬間、瞬間に気づくということを中核とした瞑想である。

上座部仏教は俗に小乗仏教(しょうじょうぶっきょう)というジャンルに分類されるが、厳密には小乗仏教というものはなくなっている。自分だけが解脱を求めるとして非難された小乗仏教はすでに存在していないためである。
以下のようにただひたすら観察していく。

からだに痛みがあっても、「これはよい」とか「これは悪い」とか「痛みがあるのは私が悪い人間だから」などと考えるのはよして、からだの熱とか圧力、緊張などの感覚をはっきりと感じとるように意識を集中するのです。(中略)
呼吸であれ、痛みであれ、こころに現れてくるものであれ、とにかく、それを分析したり、嫌ったり、無視したりせずに、ただひたすら観察することが大切なのです。快、不快、中間的なものを問わず、瞑想の対象を理解、嫌悪、無視してはならないということです。
(ダニエル・ゴールマン『心ひとつで人生は変えられる』上野圭一監訳、小谷まさ代訳、徳間書店、2000年。ISBN 978-4198611712。137-138ページより引用。(原著 Healing Emotions, 1997))

上記の方法は病院で導入され、1000名近くが実践し、怒りや不安や抑うつ、疼痛の痛みの強さ・頻度が減少した[57]。インドの刑務所でのヴィパッサナー瞑想の導入では、アルコールその他の薬物乱用や衝動性や常習犯罪の減少がみられ、看守への協力的な姿勢も増した[58]

はじめは、呼吸や腹のふくらみを念ずる(つまり、注意深く気づく)ことで、念の能力や集中する力の[59]を養っていく[60]。こうして気づき続けることで心の状態や行動に気づく力が培われていく。

「サティパッターナ・スッタ(念処経)には、形象を思い浮かべたり音を聞いたりするとき、あるいは何か実体のある対象物に接するその瞬間に、意識を傾注しなければならないとあります。もしありのままに観る力を研ぎ澄ますことができれば、その色や音をありのままに――よいことか悪いことか、美しい絵か醜い絵か、あるいは甘い音色かきたない音かなどということは考えずに――受けとることができます。このように行動すれば精神は平静を保ちます(中略)心のうちで代わりとなる対象を選ぶのです。怒りや妬み、攻撃性の代わりとして、中立的な認識対象に意識を向けるようにします。たとえば、意識を息に集中して、吸って吐いて、吸って吐いてと、できるだけ長くつづけるのです。(中略)ひとたび心に焦点を当てると、心そのものがありのままに観る対象となります。その瞬間に、精神状態が不健全なのか健全なのか、つまり怒りや嫉妬心、強欲、憎しみ、欺瞞と結びついているかどうかを知ることができます。まさにその瞬間に、心に何が起きているかを認識するのです(中略)そうして心の本性をつかむことができれば、心を乱すような否定的感情はなくなります。(中略)心のなかで何が起ころうとも、それは単なる自然の成り行きであり、起こっては過ぎ去り、ある期間留まっても消えてしまう――永久に留まることはない――と認識できるようになります。」
(ダライ・ラマ、ダニエル・ゴールマン『なぜ人は破壊的な感情を持つのか』加藤洋子訳、アーティストハウスパブリッシャーズ、2003年。ISBN 978-4048981446。160-161ページより引用。(原著 Destructive Emotions, 2003))

そして、ものごとを認識しても、それまでものごとに自動的に付随させていたイメージを切り離し「ありのままに観る」ということができるようになっていく。心をかき乱していた妄想から距離を置き、ものごとが起こり去っていく、諸行無常を捉えるようになるわけである。

サティパッターナ・スッタは、テーラワーダ仏教の伝統において気づきを確立するための教えとして中核的なものとみられているが、アーナパーナサティ・スートラ(パーリ語で「アーナ:入ってくる」と「アパーナ:出ていく」の組み合わせ)は、気づきを確立するためにもっぱら呼吸を用いていく方法を説いたものである[61]。ちなみに、「スッタ」「スートラ」は経典を意味し、サンスクリット語のスートラはタテ糸のこと。

瞑想が熟達するにつれて先ほど述べた魔境を見る場合がある。これも念じ続けることで消えるが、熟達すれば念じればすぐに消えるようになる[62]

最初、持続しなかった念は、際限なく気づき続けることにつながっていく。そして、気づきは睡眠時にも続くという想像がつかないレベルまで拡張されるのである。

瞑想的な自覚――公平に観照する能力、あるいは、何が起ころうと純粋な注意力を向ける能力――は、徐々に数分から数時間に、そして集中しているときは、ほとんど一日中にまで拡張されていきます。ひとたびほとんど一日中安定して観照することができるようになると、その鏡のような瞑想的な自覚は、夢の状態へと拡張され、明晰夢のようになり、さらに夢を見ない深い眠りの状態へと拡張され、最終的にはトゥーリヤ、すなわち高次の純粋な<観照>、そして、目覚めている状態、夢見ている状態、そして眠っている状態という三つの状態を超越した<第四の状態>、さらにはトゥーリヤティータ――<ワン・テイスト>、あるいは、あらゆる可能な状態を超越して包含し、それゆえに何にも制限されない<永遠の自覚>、<不断の自覚>、<根本的な覚醒>、<無選択の自覚>を意味する<第四の状態の超越>――を発見するでしょう。
(ケン・ウィルバー『ワン・テイスト-ケン・ウィルバーの日記〈上〉」青木聡訳、コスモスライブラリー、2002年。ISBN 978-4434018060。204ページより引用。(原著 ONE TASTE, 1999))

この眠っている間にも気づいている人の脳波は、起きているアルファ波と、夢を見ているシータ波、眠っているデルタ波が同時に計測される[63]

習熟すると念が終わり、次の念をはじめるのまでの間隔が長くなっていく。

この伝統で悟りに到達したとするのは、念じる対象のはじめと終わり、生と滅がはっきりと念じられるようになり、念じる心と念じている対象が停止したときである[64]。いつ抜けるか決めてから、数時間から数日間、認識の途切れた意識状態に入り続けるということになる。

瞑想の姿勢

座った瞑想の姿勢は結跏趺坐(けっかふざ)という両足の先を腿に乗せた姿勢がもっともよいとされるが、それが簡単にできないならあぐらの座り方をすればいい[65]。仰向けに寝る方法で教えている人も居る[66]。手は力を抜きだらっとさせる。
目は、テーラワーダ仏教では閉じ、後述するチベット仏教では半眼にするが、それも自分にあった方法でいいともされる[65]。つまり、これらのことは手段であり、目的は執着を破壊することであるから。マインドフルネスであれば、座ったときだけでなくあらゆる五感と心の変化に集中すればどんな状況でも行うことができる。

Chanting Buddhist Tibetan monks from the Maitri Vihar Monastery
Chanting Buddhist Tibetan monks from the Maitri Vihar Monastery

チベット仏教徒による誦経。低音と高音の組み合わせによる倍音が使われている。俗に落ち着く音です。

チベット仏教

チベット仏教では、悟り(菩提:ぼだい、悟りを意味するボディーの音写)に到達するため、菩提道次第(ラムリム)という経典に従い瞑想修行をはじめる[67]。こちらは上座部仏教ではなく大乗仏教(だいじょうぶっきょう)である。チベット仏教には、小乗仏教、大乗仏教そして密教(みっきょう)という仏教のすべての体系を包含した精神修養の体系がある。日本には唯識派(ゆいしきは)の大乗仏教が伝来している。チベットでは、唯識派における根本的な意識があるとする説を退け、中観派(ちゅうがんは)をとっている[68]

ダライ・ラマ法王の経験則では、ある種の精神障害や薬物で心のバランスを崩していても、仏教に親しむことで大きく回復する[69]

智慧

まず、シャマタ)あるいは禅定(ぜんじょう)と呼ばれる何かに集中する修行をはじめる。そうして煩悩の静まった状態を作るのである。一点集中によって思考が定まって止まった状態。上座部仏教では、マインドフルネスをやりながら同時に育っていくとしている定をはじめにやります。
次に、ヴィパッサナー)あるいは智慧(ちえ)あるいは般若(はんにゃ)を育むと呼ばれる修行をはじめる[70]。そして、ものごとはさまざまな条件が集まって認識されているが、本質的には実体性がない(くう)であると捉える智慧を育てる。この修行は、認識しているものには本質的には実体性がなく、さまざまな条件が相互依存して実体性があるかのように認識が起こっているという考察もする点で上座部仏教の伝統と異なる。たとえば、好感を抱いている物質的対象は実は原子の集まりであり、そういったものに執着するのかというような考察をする[71]。とはじめは思ったのですが上座部でも不浄観をやりますね。習熟したら、バランスよく同時にはたらかせる止観です。二つのはたらきのバランスを突き詰めるわけです。上座部仏教でもこの状態をはたらかせる。以下の止と観についてのダライ・ラマによる修行の要点を理解すれば、上座部仏教の修行とものすごく大きく違うものではないと理解できるだろう。

最も基礎的な心理的トレーニングは、「気づき、心に留める」という意味での注意深さマインドフルネスを養う訓練です。(中略)
普段私たちの心は散漫で、何かに集中していることはほとんどありません。思考はあるものからあるものへとランダムに移っていくのです。注意深さを身につければ、まずはこうした散漫な心の動きを自覚することができるようになります。(中略)

注意深さを養うトレーニングとしては、伝統的に自分の呼吸を観察するのがいちばん基礎的かつ最適な方法とされています。(中略)

仏教の心理学では、持続的なきっちりとした訓練を重ねれば、注意力の発揮は次第に容易になってくると考えられています。初めは多大な努力を要しますが、次第により小さな努力ですむようになり、最終的には努力を要さず自動的にできるようになるとされているのです。
注意力を育てるためのもうひとつの訓練方法が、何か一点に集中することです。(中略)この訓練では二つの能力を活かすことに主眼があります――注意深さと心の内を見通す力(気が散っていないかどうか、心の焦点が定まっているかどうか、観察がぼやけたものになっていないかなど、自分の心の状態を見極める能力)の二つです。(中略)

初めのうちは気が散っているのに気づくまで少し時間がかかるでしょう。(中略)さらに、心の働きが「柔軟になった」といわれる状態に達することができます。つまり、心を容易に働かせることができ、どんな観察対象にも自由に心を向けることができるようになるのです。仏教ではこのような状態を心が落ち着いて静まっている状態と呼んでいます。(サンスクリット語のシャマタ、チベット語のシネーです)〔〕。(中略)
それに対して洞察〔観〕の場合、気を散らさずに観察対象に心の焦点を合わせつつ、探り、分析することに重点があります。(中略)
瞑想のこの二つの要素が組み合わさることで、ものごとのありかたを具体的に深く理解することができ、この理解にもとづいて思考や感情、行動までも変容させることができるのです。(中略)

こうしてシャマタとヴィパシャナーを交互にくり返す訓練を行えば、より高度な心理的能力が得られるはずです。そして洞察による分析と静かな心理状態への沈潜は、やがてほとんど努力を要することなくできるようになるのです。(中略)

具体的な訓練方法としては、まず心を落ち着かせ、自分の身体と呼吸を注意深く意識するようにします。そして心や身体に起きるとても微妙な変化にまで気づくよう、自覚を深めていきます。(中略)

この点、今という一瞬に関心を向けるという簡単な訓練でもとても役に立ちます。(中略)私たちはどうしても過去か未来のことばかりを思ってしまうもので、今この瞬間という現在をしっかり認識していることは稀です。(中略)
坐っていると、ありとあらゆる思考が心に生起するのに気づくようになります。(中略)このとき、どんな考えが浮かんでもそのまま自由にさせておくことが大切です。その思いをさらに強くしたり抑えつけようとしてはいけませんし、価値判断するのもだめです。(中略)ただ単に思考を観察するのです。(中略)次第に、心の内のおしゃべりの合間に、単なるすき間のように感じるものがかすかに現れるようになります――具体的な、これといった内容のない心の状態です。初めはほんの一瞬の体験です。しかし訓練を積むと、ありのままの思考の行き来のあい間の、こうしたすき間の時間を徐々に長くしていけるようになります。
(ダライ・ラマ『ダライ・ラマ 科学への旅-原子の中の宇宙』伊藤真訳、サンガ、2007年。ISBN 978-4901679428。197、199-203、206-208ページより引用。(原著 The Univerce in a Single Atom:The Convergence of Science and Sprituality, 2005))

直接的に空が見えるようになれば見道位(通達位)に達する[72]。ものごとの空性についての認識が深まると、あたりは違ったように見える。

ですから、いつも何かを見る時、相互依存の真実を思い出すとすぐ、その光景が違って見えるようになります。そして、その感触は、今では努力しなくてもほとんど自動的に感じられるようになりました。(中略)講義をされている最中、相互依存について思い起こされた時、法王の前に座っている人々や法王自身には実体がないことを悟られました。個体のものなど一つもなく、すべてが互いに絡み合っているように見えたのです。法王が目の前にいる聴衆に直接結びついているという強い感触を得られました。まるで法王と聴衆の境界線がなくなったかのように。(中略)「何か柔らかいソフトなものに見えます。私たちのつながりが強くなり、慈悲の気持ちが強まります」とダライ・ラマは答えた。
( ダライ・ラマ14世テンジン・ギャツォ、ビクター・チャン『素顔のダライ・ラマ』牧内玲子訳、春秋社、2006年。ISBN 978-4393137222。124-125、127ページより引用。(原著 The Wisdom Of Forgiveness, 2004))

般若心経にこうある。

是諸法空相ぜしょほうくうそう
諸々の存在は空である。
不生不滅ふしょうふめつ
生じなければ、滅しない。
不垢不淨ふくふじょう
汚くも清らかでもなく。(つまり清浄であり、)
不增不減ふぞうふげん
増えなければ、減ることがない。

般若心経にこうある。

羯諦羯諦ぎゃーてーぎゃーてー
ギャーテー(go、行け)(資糧道へ行け、学び)。ギャーテー(加行道へ行け、修業を加えて)。
波羅羯諦ぱーらーぎゃーてー
見道へ行け。(彼岸ひがんに行き空を直に見て)
波羅僧羯諦はらそーぎゃーてー
修道へ行け。(空を馴染ませて)
菩提娑婆訶ぼでぃーそわか
悟りあれ。(もう学ぶところのない無学道に辿り着け)

もう少し、ケン・ウィルバーの説明に頼る。

人生は、普通、一つの断片として経験される。この苦しみの原因は、世界や人々からは分離した、切り離された自己-感覚への執着(しがみつくこと)にある。私たちは、この苦しみを、分離した自己への執着と同一化とを克服することによって、克服できる。この分離した自己-感覚を克服し、完全なる解放へと導く道がある。最初の「正しい見解」とは、今、説明したようなものである。「正しい瞑想(正定)」とは、ある一点(しばしば呼吸など)に集中する訓練と、起こっていることすべてに気がつくヴィパッサナー(すべての現象は、無常、無自性ないし無我、苦によって刻印されているということを洞察する瞑想)であって、これにより、「正しい意識(般若智)」に導かれる。これは非二元的な意識であり、そこでは、主体と対象、空と形態(色)は結合されている。この非二元的な意識へ、くりかえし、さらされることによって、自分のアイデンティティは「脱構築」され、応身(ニルマーナ・カーヤ)の粗大な形態から、報身(サンボーガ・カーヤ)の微細な形態へ、さらに元因的な無形、すなわち法身(ダルマ・カーヤ)、純粋な空であり、無-自己の自己(無我の我あるいは無心としてのビッグ・マインド(一心)などともよばれる)へと導かれる。(中略)この心が切り離された自己感覚を最終的に解きほぐし、無限の開けの中に解放する。(中略)非二元的な意識は、思考と欲望と形態のすべてを抱擁するため、一切衆生に対する正しい慈悲に導かれる。
(ケン・ウィルバー『インテグラル・スピリチュアリティ』松永太郎訳、春秋社、2008年。ISBN 978-4393360477。435-436ページより引用。(原著 INTEGRAL SPIRITUALITY, 2006))

繰り返される瞑想修行によって、自己が分離した感覚を克服し一つという感覚に溶け込んでいくという流れがよくわかる。

慈悲

慈悲(じひ)と呼ばれる他者を思いやる心を育てる瞑想修行も重視される。あらゆる人々が苦しみから逃れるように思う心が菩提心(ぼだいしん)である。この慈悲は、怒りだとか人を苦しめたいとかいう感情・煩悩に相反するため、そうした煩悩からの解放に直接的な打開策となる。菩提心がなければ小乗仏教、あれば大乗仏教と区別され、菩提心がなければ、自分だけが空性を理解し解脱した阿羅漢(あらかん)と呼ばれるものであっても、一切智智というものごとをあるがままに見る境地への障害である所智障が残るとされる[73]。内的あるいは外的なものごとにありのままに注意を向け、非難したり欲したり追いかけたり避けたりせずただ過ぎ去るままにまかせることは、自我はたんなる移ろいゆいくものごとの一つであるという理解につながり、本当は存在しない自我を守ろうとして起こる苦しみから解放される[74]。しかし、それだけでは自分だけが悟りに達し他者の悟りに目が向いていないため、イメージの中で他者の苦しみを引き受けることで慈悲を育てる[74]。他者に目を向けないということはまだ自分に固執しているということを意味するが、他者の利益を喜ぶ修業によって大いなる平等意識が育つ[74]
チベットでラムリムと共に広く実践されるのがロジョンという瞑想である[75]。ロジョンでは菩提心を育むために、自分が大地や食料など様々な形態になって人々に与えられるなどのイメージを瞑想する。
菩提心を育むには自他を入れ替える瞑想や[73]トンレンという瞑想も有効である[76]。トンレンは他者の悪いものを自分が吸収し、良いものを他者に与えるというイメージの瞑想を行う。オーストラリアの生理学者ジャック・ペティグリューは、トンレンの瞑想には麻酔のような鎮痛効果があるという自己の体験を報告しているが、トンレンを行っている人と同じ部屋に居る人も具合がよくなるという報告もある[77]

明晰夢

チベットの仏教僧は、明晰夢を実践し睡眠中も修行を行ってきた。明晰夢とは、自分でコントロールできる夢のことだが、スタンフォード大学では[78]明晰夢の治療効果に目をつけ[79]、明晰夢を利用するためのソフトウェアを開発している[78]

タントラ(密教:金剛乗)

チベット仏教の伝統には大乗仏教よりも悟りに速く到達しやすいとされる密教の教えがある。「ナーローの六法」と呼ばれる修行になる。
ダライ・ラマ法王はラムリムを修めたら、今生で持金剛という境地に達する可能性のある密教の無上ヨガを行うべきとしている[80]。ダライ・ラマ法王はこの密教の修行を達成した成就者である[81]。日本にも仏教僧の空海によって密教が伝来しているが、4種あるうちの下位3つの密教までしか伝来していない。
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チャクラ(神経叢、ユダヤ神秘主義カバラではセフィラ・セフィラが集まった複数形はセフィロト、クンダリニーはチベットではチャンダリー)は、頭頂・眉間・喉・心臓・へそ・生殖器などにあり、心を集中すると確実に反応を示すものであるとダライラマは説明する[82]。エネルギーの通り道であるチャクラを活性化させることで粗大な意識が消滅し、生・死・生と転生するときの中間の意識である中有という精妙な意識の光明が顕現するが、この光明を用いて空性を理解することで無明を根絶できる[83]。光明とは、完全に自然で自意識や自我への執着がない状態である[84]。こうして意識に一点の曇りもなくなった状態が悟りである[85]

生・死・生の瞬間を描き、そのときどうすればよいのかが書かれた経典が『チベット死者の書』[44]である。粗大な意識を抑制する方法にはプラーナヨーガや、熱を起こすトゥムモがある[86]。ハーバード大学医学部のハーバート・ベンソン[87]は、体内に熱を起こすトゥムモの修行者を調べたところ、体温の上昇に加え、酸素供給量と呼吸の急減少、新陳代謝の低下が観察された[88]

菩薩(ぼさつ、ボディー・サットバ)は、悟りを意味する菩提(ぼだい、ボディーの音写)と悟っていない人々(衆生)を意味する薩埵(さった、サットバの音写)の組み合わせで、修業中の人あるいは悟っているけれど人々を救うために人々の前にあらわれる人々を意味する。この意味で、厳密に悟った人は如来をつける。仏教をはじめた仏陀(ブッダ)を釈迦如来と呼ぶように。人々を救うために如来が菩薩を指揮する。

菩薩の解説
名称 解説
法蔵菩薩 光明。阿弥陀如来が、すべての衆生を悟らせるまで悟りの世界に戻らないと請願し、法蔵菩薩となって人々の前にあらわれる。現在、中国政府に連れて行かれ行方不明になっているとされるチベットの2大法王のうちパンチェン・ラマ法王が阿弥陀如来とされる。
観音菩薩 慈悲。32種類とされるあらゆる姿、方法、あらわれで衆生を救うとされる菩薩。熱心な修行者はあらゆるものを、悟りへと至らせるために観音菩薩があらわれてきたと受け取る。ダライ・ラマ法王が観音菩薩とされる。
文殊菩薩 智慧。
金剛薩埵 意思。金剛はダイヤモンドを意味し、そのように堅固な。
普賢菩薩 悟った後をまかせろ。
弥勒菩薩 56億7千万年後はまかせろ。

ダライ・ラマ法王は、自分か相手のどちらかが死ななければいけない状況においての驚くべき技法について述べている。

僧侶が自分の命を絶つことがありますが、そのとき彼らは、銃を使わずに、ある種の瞑想をおこないます。その瞑想のなかで意識がからだから離れ、死んでいくのです。これは彼らを殺そうとしている他者を救うためなのです。
(ダニエル・ゴールマン『心ひとつで人生は変えられる』上野圭一監訳、小谷まさ代訳、徳間書店、2000年。ISBN 978-4198611712。221ページより引用。(原著 Healing Emotions, 1997))

こうして意識を切り離し、死後直後の身体に意識を転移させることもできるという[89]

ダライ・ラマ タントラの技法によって自分の意識を他人の死体のなかに移し換えてしまう瞑想の行者は、死の光明状態を現実に経るわけではありません。(中略)ですからその人は、これまでの人生で集めた知識をそっくり保つことができるのですよ。記憶というのは、はっきりいって脳とは同じではありません。
(フランシス J. ヴァレーラ、ジェレミー W. ヘイワード『徹底討議 心と生命-「心の諸科学」をめぐるダライ・ラマとの対話』山口泰司訳、山口 菜生子訳、青土社、1995年。ISBN 978-4791753826。203ページより引用。(原著 Gentle Bridges: Conversations with the Dalai Lama on the Sciences of Mind, 1992))

この仏教の見解を聞くとき、脳を冷凍保存し未来の技術で蘇生することを選択したティモシー・リアリーが気になる。リアリーは、記憶が脳とは別のどこかにあり脳を媒介としてしているとしても、脳をよみがえらせれば記憶も戻ると考えていた[90]。チベット仏教では転生していく微細な意識(光明心)が記憶を保持しており、脳は媒介物にすぎないとしている[91]

密教の最上の教えはアティヨーガないしゾクチェンと呼ばれ[92]、その教えでは日常の意識であるセムに対するリクパという純粋な意識があるという[92]。ゾクチェンでは師からリクパを指し示してもらう。ゾクチェンでの焦点は意識を変容させるマインドフルネス(止や観)といった瞑想ではなく、ただ認識していないだけである純粋な意識を指し示すことが行われる[93]。常に悟りを得た心(アティあるいはスピリット;霊あるいは非二元あるいは神)しかない、それは以前からもこれからもなのだが、このことを誰も理解できなかったためにチベット密教の師であるチョギャム・トゥルンパは、アティに導くためにこれまで紹介したような変容の実践を教えた[94]。ほかの実践は特定の意識体験に導くが、ここでは自我の要求を追いかけず手段も目的も主体も客体もない、ラマナ・マハリシの言う究極の真実にとどまる[95]。ゾクチェンは、子弟の関係を結んだ者以外には非公開とされているが、同じような指し示しを行っているものにラマナ・マハリシの教えがある[93]

ケン・ウィルバーは、禅を片桐やマエズミから(曹洞宗と臨済宗の印可をもつ[96])、金剛乗をトゥルンパやカルから、ゾクチェンをチャグダッド・トゥルクやペマ・ノルブから学び、ヴェーダンタ(インド哲学)、キリスト教神秘主義、カバラ(ユダヤ神秘主義)、スーフィズム(イスラム神秘主義)・・・などなども学んでいる[97]。ケン・ウィルバーは同じレベルに到達できる実践として、ゾクチェンのほかに禅(日本的な禅)やヴェーダンタやキリスト教神秘主義などを挙げている[98]。というか、道はもっと多くあり大切なのは一つの道で何年も修行することなのでウィルバーは特定の名称を挙げたくないとコメントしている。

煩悩、視えない世界を捉える

煩悩は膨大にあるといわれるが、チベット仏教における6種の根本煩悩は以下の6つである。

とん(愛着) 欲界、色界、無色界に対する有愛執着の苦しみ
しん(嫌悪) 苦悩に対する反発、否定
(無明) 因果の法則や三宝に対する無知
まん(おごり) 恐れを知らず、他人を軽視する自身の傲慢さ
悪見あくけん (邪悪な見解) 仏教以外の誤った考えを持つこと(中略)
(固執) 限られた考え方のみを信じ、三宝を疑うこと
(ラマ・ミパム、タルタン・トゥルク『静寂と明晰-チベット仏教ゾクチェン修習次第』林久義訳、ダルマワークス、1992年。113-114ページより引用。ISBN 978-4795282810。)

以上の根本煩悩から派生する随煩悩20種は以下のとおりである。

忿ふん(怒り)、こん(恨み)、きょう(威張る)、しつ(ねたみ)
おう(偽善)、ふく(虚偽)、無慚むざん(内心に恥じない)、無愧むぎ(他者外部に恥じない)
けん(もの惜しみ)、不正知ふしょうち(無知)、のう(後悔)、がい(威嚇)
てん(へつらい)、掉挙じょうこ(うぬぼれ)、不信ふしん(自信のなさや欠如)、懈怠けだい(怠惰)
放逸ほういつ(軽率)、失念しつねん(忘却)、惛沈こんじん(おちこみ)、散乱さんらん(落ち着きのないこと)
(ラマ・ミパム、タルタン・トゥルク『静寂と明晰-チベット仏教ゾクチェン修習次第』林久義訳、ダルマワークス、1992年。114ページより引用。ISBN 978-4795282810。)

これらの煩悩は初期仏教経典で具体的に名前のあがっているもの[99]と大差はない。初期仏教経典による煩悩の断ち方には、知的理解、感官の防護、戒律で認められた必需品の受容、忍耐、事前の回避、生じた感情などの除去、修業の7種があげられる[99]。瞑想のはじめの頃は、またあの感情がやってきたと認識するなど段階的に慣れ親しむことである[100]。注意力が強まるにつれて、不快な感情に集中することもできるようになり、完璧な注意が向けば考えが止み、考えて苦しむとことが減る[101]

ジル・ボルト・テイラーによれば、こうした感情によって放出されたホルモンは90秒間しか生理反応を持続しないので、それ以上続くならホルモンが放出するような認識を持続させていると述べ、反応に気付いたなら、感情的・生理的な90秒間の反応に注意を傾けて認めてあげた後に、反応を消し去ってあげればいいと述べている[102]

西洋圏の超越意識

一切が実際に「神の顕現」であり、「プレローマ」すなわち「永遠なる神の充溢」の現れであると見ることができないとすれば、それは一定の限界をもつわれわれの知覚が邪魔しているからにほかならない。
(W・E・バトラー『魔法修行-カバラの秘法伝授』大沼忠弘訳、平河出版社、1979年。81ページより引用。ISBN 978-4892030291。(原著 Apprenticed to Magic)強調は原文のまま。)

ケン・ウィルバーは、イエス・キリストが悟りの意識状態に達し自らが神であると主張したために、はりつけにされて殺され、以降悟りに近づくものはキリスト教会によって異端審問や火あぶりにされたと主張している[103]神話の信徒は、2000年以上にわたってユダヤ教、キリスト教のように聖書に書いてある通りに世界は創造されたと信じており[104]、わが神話こそ唯一の道であると主張するが、一つの宗教が基盤としている神話はほかの神話とは相違点が出てしまう[105]神話の信徒とは違い、神秘主義は瞑想によって確認ができアルフレッド・ノース・ホワイトヘッドが指摘するように科学と手を組んで教会に反対してきた[105]。神話が隠喩・メタファーであると理解しほかの神秘主義と同一のものを違った呼び方で読んでいると認めるのが神秘主義者である[105]

次に出てくる「オカルト」の用語は本来の意味により、直に感覚できるものであり、他者に隠された世界、他者にわからない感覚世界に関する知識を意味する。

デビット――では、オカルトの知識が、秘密から抜け出し、公になるまでにこんなにも長い時間がかかったのは、なぜだと思いますか。
ロバート――まあ、それは、だいたいカソリック教会のせいです。あまりにも率直に話す人間は、何世紀ものあいだ、火刑に処せられました。だから、錬金術師、ヘルメス主義、イリュミナティなどの集団は、暗号を使って語ることを学んだんです。
(デビッド・ジェイ・ブラウン、レベッカ・マクレン・ノビック『内的宇宙の冒険者たち-意識進化の現在形』菅靖彦訳、八幡書店、1995年。ISBN 978-4893503206。155-156ページより引用。(原著 MAVERICKS OF THE MIND, 1993))

客観的な科学と直の感覚の相補

神に関する解釈、西洋的の支配的思考方法である演繹による神と、それは科学に進展した思考だが、これに比較して東洋的な直観による経験的直接的な空なるもの(一なるもの)をすべての基礎に置くこととはまったく方法論が違うわけである。

タントラ経典の教理が書いているように、Chit即ち『変ることなき、形なきもの』は「我」のうちにある意識の源なのである。Chitについてジョン・ウッドロフ卿が次の如く書いている。『英語にはそれを適当に書き表す言葉がない。それは英語の「心」Mindではない。なぜならMindはそれを通じてChitが表示される有限の道具である。それは心の背後にあるのであり、それによつて心そのものが考えられるものである。……ブラーマン(Chitと同一のもの)は心のないものである。』
(中略)
だから東洋人が道(老子の)や、ニルヴァナ(涅槃)や、ブラーマンや、Chitを、特別な感覚を通じて与えられないあるものであるとする時、それが思弁的に要請し、巧みな文章で表現され、そしてただ間接的実験によってのみ証明される本体、感覚されるものとは反対の、たとえば数学的なニュートン物理学の空間や、西洋のキリスト教の、見えない「父なる神」のようなものを意味しているのではないということを強くいつておかなくてはならない。かれのさすのは、その反対で、前に極東の主要な宗教や文化について研究した時明らかになつたように、推論されたり、論理科学的な仮説の方法で、思弁的に到達されたりしたものではなく、じかに経験されるあるものなのである。
(F.S.C.ノースロップ『東洋と西洋の会合〈下巻〉』桜沢如一訳、田村敏雄訳、世界政府協会、1952年。ASIN B000JBBTWS132-133、150‐151ページより引用。(原著 THE MEETING OF EAST AND WEST, 1946))

一なるものの分化・断片を基礎としてしまった西洋哲学と神学は、偏った視点でイデオロギーの闘争を生みだし、逆に永遠に変わらないものを基礎とした東洋哲学・実践心理学は変わらないものを基礎としているので融和するんですね。

そこで魔法・魔術的文脈のなかで神を直観しようとした西洋の神秘主義、瞑想はキリスト教から異端視されたばかりか、推論による神の信仰を失わせる悪魔的(サタニズム)とさえ断定されるにいたった。その部分の解釈の相違は神の名を語ったとされている部分の解釈である。

その後、モーゼが「神」の「名前」を教えられた時、「燃えるやぶ」の中で「神の顕現」があったという章句がくる。この名前は『欽定聖書』によれば「われは有りて有るものなり」と訳されているが、ヘブライ語では「エヒシー・アシェル・エヒエー」、すなわち聖書学者のマファットの翻訳するところでは「わたくしはなるようになるであろう」という意味であり、この方がはるかにヘブライ語の意味を伝えている。わたくしはあるヘブライ語の学者に教えられたことがあるが、もっと忠実には「われはつねに生成する者なり」と訳すことができるという。
(W・E・バトラー『魔法入門-カバラの密儀』 大沼忠弘訳、出帆新社、2000年。ISBN 978-4915497605。172ページより引用。(原著 Magic, its Ritual, Power and Purpose, 1952 and The Magician, his Training and Work, 1959))

上記の引用部分の解釈の違いが、神話の信徒神秘主義の相違を生み出した。そして、正反対のものを生みだしてしまった。

大きな影響力をもつイエズス会の創設者、聖イグナチウス・ロヨラは自己省察せいさつの理論を説いた最初の一人だと思います。
イグナチウスは自分の著書『魂のエチュード』で、贖罪しょくざい者たちが日々、自分の犯した罪業を思い出し、追体験するだけでなく、悪魔の姿を見たり、業火ごうかを浴びながら地獄に落ちた人のうめき声を聞いたり、天罰の苦しみを味わうなど、地獄絵の世界を心の中にイメージできることを望んでいました。
(アルベルト・オリヴェリオ『論理的思考の技術-「考える脳」をつくる50の方法』川本英明訳、大和書房、2004年。ISBN 978-4479790877。54ページより引用。(原著 L’arte di pensare ))

論より証拠

神話の信徒は教条の信仰となり、神秘主義は原因と結果のある手順の実践となる。前者は現実を無視して書物の記述の世界を信じこみ「こう書かれているのでひたすら信じよう」であり神を思考によって仮説してしまっているのに対し、後者は現実が記述された書物にしたがって「こうなっていますから、こうすると、こうなります」を経験主義的に活用し検証し感覚として実証することになる。したがって、前者は科学に排斥されやすく、後者は科学と親和しやすい。そこでキリスト教と科学や実践心理学である東洋哲学との統合が論点とされてきた。その多くはおとぎ話より経験に基礎を置こうということになる。しかし、あらゆる神秘主義が信仰を失わせる悪魔主義とされ[106]、出産と薬草医として関わった経験主義の賢女は魔女と呼ばれ魔女裁判にかけられ[107]、実験観測によって地動説を唱えたガリレオは異端審問にかけられたこの断絶が存在する。

ローマ法王がイエズス会を解散したとき、ヴォルテールは、これで終わりだ、カソリック教会は崩壊するといいました。ところが、数年後、彼らはイエズス会を再組織したんです。マルタ島の王たちは、公然とCIAを動かしています。
(中略)
イリュミナティ、アルジェンタム・アストラム(銀の星教団)、東方聖堂騎士団のリーダーとしてのクロウリーは、キリスト教を転覆するという計画を続行し、異教を復活させるという独自の工夫を付け加えました。
それは、同じようなことをしたジョルダーノ・ブルーノまで遡ります。(中略)例外は根本主義者たちで、彼らはそれを悪魔的な運動と考えています。
(デビッド・ジェイ・ブラウン、レベッカ・マクレン・ノビック『内的宇宙の冒険者たち-意識進化の現在形』菅靖彦訳、八幡書店、1995年。ISBN 978-4893503206。163-164ページより引用。(原著 MAVERICKS OF THE MIND, 1993))

ウィルバーは、エロスが世界はひとつである・神と合一するという上昇の意識であり、アガペーは分化した世界に対する慈悲であると解釈した新プラトン主義のプロティノスを支持し、西洋・東洋の超越した意識を整合的に解釈しようとしている。西洋では、新プラトン主義のような高度な教えはキリスト教の地下にもぐった[103]

しかしいくつもの時代を通じて抑圧され迫害されてきたけれども、西方世界でも魔法が存在するのを止めた時はなかった。
(中略)
このような出現の一つが「聖堂騎士団」であった。その団員の、聖堂騎士たちは迫害者によってかれらに投げつけられたおびただしい汚名から名誉を回復しつつある。もう一つの例がフランスにおけるアルビ派(カタリ派)である。また「黄金と薔薇の十字団」、「イルミナティ」とか、「磁気学派」、「神智学派」、その他無数の団体や秘密結社が十九世紀の後半にあらわれている。この中でもっとも有名で、われわれの観点から言ってもっとも啓示的なのは「黄金の夜明け団」である。
(中略)
神聖な魔法の伝統には本質的な法則がある。(中略)この鉄則と原理を身につければ、魔法の様々な細部は、それぞれの所を得て、魔法の全体が統一体として見渡せるようになる。なぜなら様々な体系のすべての背後には一つの哲学的思想形態があり、それは「一元論」として知られる特殊な哲学に基づいている。
(W・E・バトラー『魔法入門-カバラの密儀』 大沼忠弘訳、出帆新社、2000年。ISBN 978-4915497605。16-17、148ページより引用。(原著 Magic, its Ritual, Power and Purpose, 1952 and The Magician, his Training and Work, 1959))

お伽噺から内面の科学へ

キリスト教社会、魔女狩りや異端者の住む異国を植民地化・奴隷化する社会において、暴力に訴えることはよくないとして信仰の自由や思想の自由の思想が広まるには、哲学者ジョン・ロック(John Locke、1632年 – 1704年)による1689年出版の『寛容に関する書簡』[108]まで時間がかかった。その後、現在までに立法化もされ少しずつ普及してきました。
20世紀初頭にはイギリスの神智学協会が東洋知識を普及しており、真理は組織化できないとして組織的宗教は撤廃すべきとしたクリシュナムルティが誕生する。さらに、東洋思想の仏教徒やヒンドゥー教徒が第二次大戦後に欧米へ思想を伝えたり、マクロビオティックの創始者である桜沢如一(さくらざわゆきかず)が東洋思想や健康法をパリに伝えパリ栄誉市民賞を貰うなどして、思想が混交していき東西の統合思想が生まれ、ケン・ウィルバーの思想にもつながっていきます。

ケン・ウィルバーの見解です。精神分析的な攻撃性に転嫁する信徒の性質の分析と、それをどのような方向へ持っていけばいいのかです。

かつそこでは、正常かつ不可避的に、不安や不信の念のおとずれがやってくるとき(注釈を中略)、この問を発する衝動はそう長くは自己体系のうちに留まることを許されない(ひとの不死への資格認定を脅かすから)。結果として、不信の衝動は他者の上に投射され偏執的な忍耐強さでもって「外のあそこ」で攻撃されがちになる。もし神話的宗教を奉じていると、そのひとは罪人に対して十字軍をおこし、魔女を火刑に処し、異端者を絞首刑にする。
(中略)
もっと好ましい面としては、信念は、それより高次の度合いの宗教的参与(信仰、経験、適合)にふさわしい概念表現とコード化として役立つことができる。ここでは、信念体系は、超合理的初真理の合法的明晰化としてのほか、初歩の入信者のための序論的、顕教的、予備的な「読書資料」としても働く。
(ケン・ウィルバー『構造としての神-超越的社会学入門』井上章子訳、青土社、1984年。ASIN B000J6VWHU。126-127ページ。(原著 A Sociable God, 1983)強調は原文のまま)

クリシュナムルティは似たような見解を残している。

「宗教が聖書や回教聖典コーランのような一冊の聖典に基礎をおいているときは、人は頑迷になり、心も窮屈になります。」
(中略)
「彼等はかなり教育を受けた人たちのように見えるが、それでいて、処女懐妊、昇天や神の右に座るとか、ナンセンスなことばかり言い続けている。心に何か疑念を持っているに違いない。」
(中略)
「それにしても、彼等は本当にこういう教義や教理やお伽噺を信じているのかと、私は未だに不思議でなりません」
(マイケル・クローネン『キッチン日記-J.クリシュナムルティとの1001回のランチ』高橋重敏訳、コスモスライブラリー、1999年。ISBN 978-4795223707。259‐260ページより引用。(原著 The Kitchen Chronicles))

クリシュナムルティは、あらゆる宗教組織の解体を目指し、内面を見つめることを説いたが、本当に合理的に考えた宗教の聖典には、合理的であるという見解を残している。

「ヒンズー教徒や仏教徒も沢山のいわゆる聖典を持っています。しかしそのどれもが排他的な権威だとは考えられていません。彼等には探求と質疑の長い伝統があります。懐疑主義を育てあげ、どんな質問をすることができます」
(マイケル・クローネン『キッチン日記-J.クリシュナムルティとの1001回のランチ』高橋重敏訳、コスモスライブラリー、1999年。ISBN 978-4795223707。259ページより引用。(原著 The Kitchen Chronicles))

そして、ケン・ウィルバーと同じようにお伽噺は、ある段階では必要であり、仁(慈悲)をもってあたるべしと。

諸士の靈眼の開けた今日では、諸子の信じてゐた昔の信仰のあるものや、又は昔の儀式等は間違つてゐるやうに見えるかもしれない。さうして恐らく實際はさうに違いない。(中略)それは丁度兒供の習字用紙に於ける罫線のやうなもので、それがなくとも自由に且つ立派に書き得るやうになるまでは必要なのである。(中略)
それ故に親切と温和と寛容とを以てすべてを眺め佛教徒にも、印度教徒にも、耆那ジャイナ教徒にも、猶太教徒にも、基督教徒にも、亦回教徒にも悉く一視同仁でありたい。
(クリシナムルテ『阿羅漢道』今武平訳、文党社、1925年(大正14年)。32‐33ページより引用。以下2点を除き旧漢字のまま。「違」左上の点が二つの字、「習」羽が介を傾けたものが二つ、文字変換で出せませんでした。)

統合への道

飽くなき欲望や怒りを静め、世界や人々とのつながりを深く感じ取る意識の自己超越は世界平和を考える上で欠かせないことである。
さらなる高いレベルの教えを何の宗教にも依存せず説いたのがクリシュナムルティ。あらゆる宗教から共通性を見出し対立性を統合したのがケン・ウィルバーである。
東西の思想を統合しようとした初期のものには、19世紀からはじまったブラヴァツキー夫人による神智学協会があり[109]、クリシュナムルティは神智学協会に世界教師として見出され「星の教団」が用意されたが、クリシュナムルティは真理は組織化できないとして「星の教団」を解体し心の動きに気づく手法を説いてまわった。続いて、作家のオルダス・ハクスリーがあらゆる宗教の共通的な基盤を探求した1945年出版の『永遠の哲学』[110]や、F・S・C・ノースロップが1946年に出版し西洋哲学とキリスト教神学、東洋思想の思想対立を統一的に解決しようと試みた『東洋と西洋の会合』[111][112]などがある。

ここに前述したような脳科学による後押しがあります。脳科学や一般人の瞑想の実践につながるまでには、物質であるサイケデリックス(幻覚剤)が意識に変容をもたらすという経験を通して普及していきました。
『チベット死者の書』を英訳したエバンス・ヴェンツがインドに建てた家に住んでいた、前述したチベット仏教徒のラマ・ゴビンダによれば、LSDの伝道師ティモシー・リアリーもこの流れに入るのでしょう。

ラーマによると、ここ数十年の間に、多くの東洋の教師が、西洋の機械的な一神教文化の中にある自己の聖性の精神を目覚めさせようと試みてきた。神智学の動きはこういった試みのひとつだったのだ。グルジェフ、ラーマ・クリシュナやクリシュナムルティの教えもまたしかりだ。エバンス・ウェンツによる『チベット死者の書』の英訳はこの計画の一部だった。(中略)「あなたは、五十年以上にわたって展開してきた計画の成果としてすでに予見されていた。(中略)無意識のうちに、我々の時代の偉大なる転換の道具となっていたのです」
(ティモシー・リアリー『フラッシュバックス-ティモシー・リアリー自伝』山形浩生訳、久霧亜子訳、明石綾子訳、森本 正史訳、松原永子訳、1995年。ISBN 978-4845709038。305-306ページより引用。 (原著 FLASHBACKS 2nd edition, 1990 1ed:1983))

リアリーの共同研究者のラム・ダス(リチャード・アルパート)が、ヒマラヤで自分の師となるニーム・カロリ・ババに出会った時LSDを差し出したが、これは高い意識へ”訪問”させる今では忘れ去られてしまったマハラジ・ジであり、”訪問”よりも自らが聖者になることだと教えられた[113]。この”訪問”について、アメリカの心理学研究所であるエサレン研究所の創始者のマイケル・マーフィは「私たちの目を覚まさせる、みぞおちへのストレートパンチだった」と述べ、膨大な数のアメリカ人の精神世界への扉を開き瞑想や心の平和への足がかりとなった[113]

強烈な変性意識状態を経験するために、「幻覚剤」、すなわち、幻覚作用のある植物や化学物質を用いる人がいます。(中略)ただ、こうした薬物に効果があるというのは事実ですし、また、実践者のなかには、意識状態のトレーニングの道具として、そうした薬物を効果的に活用することができている人もいます。(中略)しかし、意識状態の変性を目的とする外的な手法(薬物や音声技術など)は、瞑想の内的な手法で補完される必要があります。
(ケン・ウィルバー、テリー・パッテン、アダム・レオナルド、マルコ・モレリ『実践インテグラル・ライフ-自己成長の設計図』鈴木規夫訳、春秋社、2010年。140-141ページより引用。ISBN 978-4393360538。(原著 INTEGRAL LIFE PRACTICE, 2008))

ダライ・ラマ法王によれば、こういうものは修行には必要ない[114]

また、ダライ・ラマ法王は、宗教色がなく社会科学と相性がよく一般大衆に受け入れられる肯定的感情を育む教育の普及も望んでいる[115]

『東洋と西洋の会合』の邦訳者の桜沢如一は、世界観―食物―料理―身心―社会という経験論を普遍の原理(身土不二の原則、無双原理)にしようと活動し、東西の思想解剖だけでなく物質界を経由したという根本的な違いがある。食物の化学反応と社会的影響はまったく無視できるものではなく、さらなる検証を要する。

クリシュナムルティはこう言ってる。

清潔なる飲食物を興へ、適当に飼育し、常に洗浄して穢物を除き、清く保たれなければならない。完全にして純潔な健康体を保たなければ入聖の準備である難行を成就し、不断の緊張に堪え得るものではない。
(クリシナムルテ『阿羅漢道』今武平訳、文党社、1925年(大正14年)。8ページより引用。旧漢字を現代漢字に変更。)

参考文献

  • 有田秀穂、井上ウィマラ『瞑想脳を拓く-脳生理学があかすブッダのサイエンス』佼成出版社、2007年。ISBN 978-4333022861
  • ラリー・ローゼンバーグ『呼吸による癒し-実践ヴィパッサナー瞑想』井上ウィマラ訳、春秋社、2001年。ISBN 978-4393364062。(原著 BREATH by BREATH, 1998)
  • マハーシ長老『ミャンマーの瞑想-ウィパッサナー観法』ウ・ウィジャナンダー大僧正訳、国際語学社、1996年。ISBN 978-4877310240
  • ケン・ウィルバー『ワン・テイスト-ケン・ウィルバーの日記〈下〉」青木聡訳、コスモスライブラリー、2002年。ISBN 978-4434021374。(原著 ONE TASTE, 1999)

外部リンク

脚注

  1. ^^エリオット・S. ダッチャー『心身免疫セラピー-精神神経免疫学入門 新装版』中神百合子訳、春秋社、2005年。ISBN 978-4393710555。42-45ページ。(原著 Pni: The New Mind/Body Healing Program, 1992)
  2. ^ジョン・カバットジン『マインドフルネスストレス低減法』春木豊訳、北大路書房、2007年。ISBN 978-4762825842。(原著 Full Catastrophe Living, 1990)
  3. ^Z.V・シーガル、J.D・ティーズデール、マーク・ウィリアムズ『マインドフルネス認知療法-うつを予防する新しいアプローチ』越川房子監訳、北大路書房、2007年。ISBN 978-4762825743。(原著 Mindfulness-Based Cognitive Therapy for Depression, 2002)
  4. ^S.C・ヘイズ、マーシャ・M・リネハン、V.M・フォレット『マインドフルネス&アクセプタンス-認知行動療法の新次元』春木豊監修、武藤崇訳、杉浦義典訳、伊藤義徳訳、ブレーン出版、2005年。ISBN 978-4892428173。(原著 Mindfulness And Acceptance, 2004)
  5. ^^^B.W.ウォルシュ『自傷行為治療ガイド』松本俊彦訳、金剛出版、2007年。287ページ。ISBN 978-4772409568。(原著 TREATING SELF-INJURY: A Practical Guide, 2006)
  6. ^ジェフ・ブラントリー『10分間瞑想健康法-日々の不安・うつ・パニックがとけていく!!』増田恵理子訳、草川秀子訳、オープンナレッジ、2006年。ISBN 978-4902444186。(原著 Calming Your Anxious Mind, 2003)
  7. ^ロレーヌ・ベル『自傷行為とつらい感情に悩む人のために-ボーダーラインパーソナリティ障害(BPD)のためのセルフヘルプ・マニュアル』井沢 功一朗訳、松岡 律訳 誠信書房、2006年。ISBN 978-4414414172。(原著 MANAGING INTENSE EMOTIONS, 2003)
  8. ^スーザン・アルバース『食も心もマインドフルに-食べ物との素敵な関係を楽しむために』上原徹訳、佐藤美奈子訳、星和書店、2005年。ISBN 978-4791105847。(Eating Mindfully, 2003)
  9. ^「サムライの瞑想」やヨガを活用する米軍:「戦場での心的外傷」治療に(WIRED VISION、2008年10月16日)
  10. ^^瞑想やヨガはストレス遺伝子のスイッチをオフにする(ヘルスデージャパン、2008.7.14掲載)
  11. ^Dusek JA, Otu HH et al. “Genomic Counter-Stress Changes Induced by the Relaxation ResponsePLoS One. 2008 Jul 2;3(7):e2576. PMID 18596974.
  12. ^クリシナムルテ『阿羅漢道』今武平訳、文党社、1925年(大正14年)。
  13. ^桜沢如一『自然医学としての神道』食養会、1936年。40ページより引用。
  14. ^ケン・ウィルバー『構造としての神-超越的社会学入門』井上章子訳、青土社、1984年。182ページより引用。ASIN B000J6VWHU。(原著 A Sociable God, 1983)強調は原文のまま。
  15. ^B.W.ウォルシュ『自傷行為治療ガイド』松本俊彦訳、金剛出版、2007年。4、26-29ページ。ISBN 978-4772409568。(原著 TREATING SELF-INJURY: A Practical Guide, 2006)
  16. ^有田秀穂、玄侑宗久『禅と脳-「禅的生活」が脳と身体にいい理由』大和書房、2005年。ISBN 978-4479391197。14ページ、表紙略歴。
  17. ^アルベルト・オリヴェリオ『覚える技術』川本英明訳、池谷裕二・解説、翔泳社、2002年。ISBN 978-4798103129。129-130ページ。(原著 L’ARTE DI RICORDARE, 1998)
  18. ^^ケン・ウィルバー『インテグラル・スピリチュアリティ』松永太郎訳、春秋社、2008年。ISBN 978-4393360477。245ページ。(原著 INTEGRAL SPIRITUALITY, 2006)
  19. ^^有田秀穂、玄侑宗久『禅と脳-「禅的生活」が脳と身体にいい理由』大和書房、2005年。ISBN 978-4479391197。109-110ページ。
  20. ^有田秀穂、玄侑宗久『禅と脳-「禅的生活」が脳と身体にいい理由』大和書房、2005年。ISBN 978-4479391197。115-116ページ。
  21. ^マーシー・シャイモフ『「脳にいいこと」だけをやりなさい!』茂木健一郎訳、三笠書房、2008年。ISBN 978-4837956969。89、178-179ページ。(原著 Happy for No Reason, 2008)
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  23. ^^ダライ・ラマ14世テンジン・ギャツォ、ビクター・チャン『素顔のダライ・ラマ』牧内玲子訳、春秋社、2006年。ISBN 978-4393137222。125-126ページ。(原著 The Wisdom Of Forgiveness, 2004)
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  40. ^有田秀穂、玄侑宗久『禅と脳-「禅的生活」が脳と身体にいい理由』大和書房、2005年。ISBN 978-4479391197。200-201ページ。
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  69. ^フランシス J. ヴァレーラ、ジェレミー W. ヘイワード『徹底討議 心と生命-「心の諸科学」をめぐるダライ・ラマとの対話』山口泰司訳、山口 菜生子訳、青土社、1995年。153ページ。ISBN 978-4791753826。(原著 Gentle Bridges: Conversations with the Dalai Lama on the Sciences of Mind, 1992)
  70. ^ダライ・ラマ14世テンジン・ギャツォ『ダライ・ラマ瞑想入門-至福への道-新装版』ゲシェー・ソナム・ギャルツェン・ゴンタ監訳、鈴木樹代子訳、春秋社、2008年。ISBN 978-4393133774。260ページ。(原著 Path to Bliss: A Practical Guide to Stages of Meditation
  71. ^ラマ・ミパム、タルタン・トゥルク『静寂と明晰-チベット仏教ゾクチェン修習次第』林久義訳、ダルマワークス、1992年。ISBN 978-4795282810
  72. ^ダライ・ラマ14世テンジン・ギャツォ『世界平和のために』《ハルキ文庫》、塩原通緒 訳、角川春樹事務所、2008年。ISBN 978-4758433532。41-42ページ。(原著 AN OPEN HEART, 2001)
  73. ^^ダライ・ラマ14世テンジン・ギャツォ『ダライ・ラマ瞑想入門-至福への道-新装版』ゲシェー・ソナム・ギャルツェン・ゴンタ監訳、鈴木樹代子訳、春秋社、2008年。ISBN 978-4393133774。276ページ。(原著 Path to Bliss: A Practical Guide to Stages of Meditation
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  77. ^チベット仏教と神経科学の融合は可能か(上) (WIRED VISION、2002年7月25日)
  78. ^^夢を自在に操るトレーニング(上) (WIRED VISION、2001年3月23日)
  79. ^夢を自在に操るトレーニング(下)(WIRED VISION、2001年3月26日)
  80. ^ダライ・ラマ14世テンジン・ギャツォ『ダライ・ラマ瞑想入門-至福への道-新装版』ゲシェー・ソナム・ギャルツェン・ゴンタ監訳、鈴木樹代子訳、春秋社、2008年。ISBN 978-4393133774。270、273、277ページ(原著 Path to Bliss: A Practical Guide to Stages of Meditation
  81. ^ロバート・サーマン『なぜダライ・ラマは重要なのか』鷲尾翠訳、講談社、2008年。ISBN 978-4062150040。56ページ。(原著 Why The Darai Rama Matters, 2008)
  82. ^フランシス J. ヴァレーラ、ジェレミー W. ヘイワード『徹底討議 心と生命-「心の諸科学」をめぐるダライ・ラマとの対話』山口泰司訳、山口 菜生子訳、青土社、1995年。109ページ。ISBN 978-4791753826。(原著 Gentle Bridges: Conversations with the Dalai Lama on the Sciences of Mind, 1992)
  83. ^ダライ・ラマ14世テンジン・ギャツォ『ダライ・ラマの仏教哲学講義-苦しみから菩提へ』福田洋一訳、大東出版社、1996年。ISBN 978-4500006274。242-244ページ。(原著 The Darai Lama at Harvard, 1988)
  84. ^ダライ・ラマ『ダライ・ラマ 科学への旅-原子の中の宇宙』伊藤真訳、サンガ、2007年。ISBN 978-4901679428。206ページ。(原著 The Univerce in a Single Atom:The Convergence of Science and Sprituality, 2005)
  85. ^ダライ・ラマ、ダニエル・ゴールマン『なぜ人は破壊的な感情を持つのか』加藤洋子訳、アーティストハウスパブリッシャーズ、2003年。ISBN 978-4048981446。85ページ。(原著 Destructive Emotions, 2003)
  86. ^ダライ・ラマ14世テンジン・ギャツォ『ダライ・ラマ ゾクチェン入門-新装版』宮坂宥洪訳、春秋社、2008年。ISBN 978-4393133767。47-48ページ。(原著 Dzogchen: The Heart Essence of the Great Perfection, 2000)
  87. ^ダライ・ラマ『ダライ・ラマ 科学への旅-原子の中の宇宙』伊藤真訳、サンガ、2007年。ISBN 978-4901679428。187ページ。(原著 The Univerce in a Single Atom:The Convergence of Science and Sprituality, 2005)
  88. ^ダライ・ラマ14世テンジン・ギャツォ、ビクター・チャン『素顔のダライ・ラマ』牧内玲子訳、春秋社、2006年。ISBN 978-4393137222。74-77ページ。(原著 The Wisdom Of Forgiveness, 2004)
  89. ^フランシス J. ヴァレーラ、ジェレミー W. ヘイワード『徹底討議 心と生命-「心の諸科学」をめぐるダライ・ラマとの対話』山口泰司訳、山口 菜生子訳、青土社、1995年。ISBN 978-4791753826。202-204ページ。(原著 Gentle Bridges: Conversations with the Dalai Lama on the Sciences of Mind, 1992)
  90. ^デビッド・ジェイ・ブラウン、レベッカ・マクレン・ノビック『内的宇宙の冒険者たち-意識進化の現在形』菅靖彦訳、八幡書店、1995年。ISBN 978-4893503206。181-205ページ。(原著 MAVERICKS OF THE MIND, 1993)
  91. ^フランシス J. ヴァレーラ、ジェレミー W. ヘイワード『徹底討議 心と生命-「心の諸科学」をめぐるダライ・ラマとの対話』山口泰司訳、山口 菜生子訳、青土社、1995年。205、208ページ。ISBN 978-4791753826。(原著 Gentle Bridges: Conversations with the Dalai Lama on the Sciences of Mind, 1992)
  92. ^^ダライ・ラマ14世テンジン・ギャツォ『ダライ・ラマ ゾクチェン入門-新装版』宮坂宥洪訳、春秋社、2008年。ISBN 978-4393133767。47-48ページ。(原著 Dzogchen: The Heart Essence of the Great Perfection, 2000)
  93. ^^ケン・ウィルバー『存在することのシンプルな感覚』松永太郎訳、春秋社、2005年。ISBN 978-4393321027。(原著 The Simple Feeling of Being : Embracing Your True Nature, 2004)
  94. ^ケン・ウィルバー『ワン・テイスト-ケン・ウィルバーの日記〈上〉」青木聡訳、コスモスライブラリー、2002年。ISBN 978-4434018060。51ページ。(原著 ONE TASTE, 1999)
  95. ^ケン・ウィルバー『ワン・テイスト-ケン・ウィルバーの日記〈下〉」青木聡訳、コスモスライブラリー、2002年。ISBN 978-4434021374。155-167ページ。(原著 ONE TASTE, 1999)
  96. ^「解題-井上忠」ケン・ウィルバー『構造としての神-超越的社会学入門』井上章子訳、青土社、1984年。231-233ページ。ASIN B000J6VWHU。(原著 A Sociable God, 1983)
  97. ^ケン・ウィルバー『ワン・テイスト-ケン・ウィルバーの日記〈上〉」青木聡訳、コスモスライブラリー、2002年。110-111ページ。ISBN 978-4434018060。51ページ。(原著 ONE TASTE, 1999)
  98. ^ケン・ウィルバー『ワン・テイスト-ケン・ウィルバーの日記〈下〉」青木聡訳、コスモスライブラリー、2002年。ISBN 978-4434021374。51ページ。(原著 ONE TASTE, 1999)
  99. ^^『原典で読む原始仏教の世界』阿部慈園編、中村元監修、東京書籍、2000年。ISBN 978-4487795352。49-50ページ。
  100. ^ダライ・ラマ、ダニエル・ゴールマン『なぜ人は破壊的な感情を持つのか』加藤洋子訳、アーティストハウスパブリッシャーズ、2003年。ISBN 978-4048981446。190-191ページより引用。(原著 Destructive Emotions, 2003)
  101. ^ラリー・ローゼンバーグ『呼吸による癒し-実践ヴィパッサナー瞑想』井上ウィマラ訳、春秋社、2001年。ISBN 978-4393364062。92-102ページ。(原著 BREATH by BREATH, 1998)
  102. ^ジル・ボルト・テイラー『奇跡の脳』竹内薫訳、新潮社、2009年。ISBN 978-4105059316。178、185、190ページ。(原著 My STROKE of INSIGHT, 2006)
  103. ^^ケン・ウィルバー『ワン・テイスト-ケン・ウィルバーの日記〈下〉」青木聡訳、コスモスライブラリー、2002年。ISBN 978-4434021374。280-281ページ。(原著 ONE TASTE, 1999)
  104. ^T・リアリー、P・クラスナー、A・ワイル、R・A・ウィルソン「High Consciousness and Creativity サイケデリクスが示す意識の未来」久保儀明訳『イマーゴ』1993年1月、162‐178ページ。
  105. ^^^ケン・ウィルバー『グレース&グリット-愛と魂の軌跡〈上〉』伊東宏太郎訳、春秋社、1999年。43-46ページ。ISBN 978-4393364031。320-321ページ。(原著 Grace and Grit, 1991)
  106. ^エリファス レヴィ『魔術の歴史-附・その方法と儀式と秘奥の明快にして簡潔な説明』鈴木啓司訳、人文書院。ISBN 978-4409030493。(原著 Histoire de la magie, 1960)
  107. ^バーバラ・エーレンライク、ディアドリー・イングリシュ『魔女・産婆・看護婦-女性医療家の歴史』長瀬久子訳、法政大学出版局、1996年。ISBN 978-4588021671。(原著 Witches, Midwives and Nurses, Complaints and Disorders, 1973)
  108. ^ジョン・ロック『寛容についての書簡』平野耿訳、朝日出版社、1971年。ASIN B000J9C848(原著 Letters concerning Toleration
  109. ^ダライ・ラマ『ダライ・ラマ 科学への旅-原子の中の宇宙』伊藤真訳、サンガ、2007年。ISBN 978-4901679428。33-34ページ。(原著 The Univerce in a Single Atom:The Convergence of Science and Sprituality, 2005)
  110. ^オルダス・ハクスレー『永遠の哲学-究極のリアリティ』中村保男訳、平河出版社《mind books》、1988年。ISBN 978-4892031427。(原著 The Perennial Philosophy, 1945)
  111. ^F.S.C.ノースロップ『東洋と西洋の会合〈上巻〉-世界平和原理の探究』桜沢如一訳、田村敏雄訳、時論社、1950年。ASIN B000JBBTWS(原著 THE MEETING OF EAST AND WEST, 1946)
  112. ^F.S.C.ノースロップ『東洋と西洋の会合〈下巻〉』桜沢如一訳、田村敏雄訳、世界政府協会、1952年。ASIN B000JBBTWS(原著 THE MEETING OF EAST AND WEST, 1946)
  113. ^^マーティン・トーゴフ『ドラッグ・カルチャー-アメリカ文化の光と影(1945~2000年)』宮家あゆみ訳、清流出版2007年。ISBN 978-4860292331。360、362ページ。(原著 Can’t Find My Way Home, 2004)
  114. ^ダライ・ラマ14世テンジン・ギャツォ『ダライ・ラマ実践の書』ジェフリー・ホプキンズ編さん、宮坂宥洪訳、春秋社。ISBN 978-4393133835。(原著 Dalai Lama How to Practice, 2002)
  115. ^ダライ・ラマ、ダニエル・ゴールマン『なぜ人は破壊的な感情を持つのか』加藤洋子訳、アーティストハウスパブリッシャーズ、2003年。ISBN 978-4048981446。193-194ページ。(原著 Destructive Emotions, 2003)

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