フローティング・タンク、考察と体験記 サイケデリック 心理学・精神医学 by まぼろし - 2012年8月24日2018年8月7日0 COCOONのアイソレーション・タンク(フローティング・タンク)に入ってきました。 最新型のタンクが置いてあるので岡山のCOCOONに行きたいと思ってたところ、なかなか行けなかった。そこで東京のタンクサロンのECCOのほうに行こうと思っていたけど、こちらは震災を機に移住していました。そんなこんなで、やっとCOCOONに。 フローティング・タンク 1950年代、ジョン・C・リリーによって、リアリティとは何かという追求の果てに生み出された感覚遮断タンク(アイソレーション・タンク)は、体温程度の温度に保たれた塩水に浮かび、光と音を遮断できるタンクです。今では究極のリラクゼーションの装置として普及している。“Restricted environmental stimulation therapy“と呼ばれる。 Wikipediaを探すと、タンクの体験によって、ストレスホルモンの減少、α波からΘ波に入る、慢性痛の軽減、抑うつ感の減少と楽観さの増加といったデータが出ていることが分かる。通常の指示的な訓練以上に受動的に体の力を抜き、同時に深い瞑想体験が期待でき、その作用ではないかと考えられる。 もう少し探すと、ストレス関連の筋肉の慢性痛がある人々が、フローティングによって痛みと気分が改善されている。3週間で9回フローティングした後、最も激しい痛みが減少し、不安や抑うつの減少、楽観さを増し、より簡単に眠れるようになった。 ・Kjellgren A, Sundequist U, Norlander T, Archer T. “Effects of flotation-REST on muscle tension pain” Pain Res Manag. 2001 Winter;6(4):181-9. PMID 11854763. 3週間、週2回毎回45分のフローティングで、同様の改善があり、痛みに耐える能力の向上も見られた。 ・Bood SA, Kjellgren A, Norlander T. “Treating stress-related pain with the flotation restricted environmental stimulation technique: are there differences between women and men?” Pain Res Manag. 2009 Jul-Aug;14(4):293-8. PMID 19714269. PMCID PMC2734516. HIKARI CLINIC HIKARI CLINIC院長のvoid氏とお話する機会があったのでいろいろ伺いました。 クリニックの設計には、日の昇る伊勢と日の沈む出雲の、タンクと診察室の陰と陽の配置が考えられているとのこと。視覚的に丸みと柔らかな色が多く、非常にゆったりできるようになっていました。 COCOON 岡山駅から徒歩圏内、HIKARI CLINIC併設のCOCOON。 ・COCOON ・HIKARI CLINIC フローティング・タンク体験記 とにかくはじめてなので、深いリラクゼーションを期待する。事前にツイッターを読んでいると、慣れると無形神秘主義に達していることが推測できるので、そこまでいかないにしろ、目撃しているという感じに触れたい、という期待はあった。 慣れておくために、タンクについて書いてあるわけではないけれど、成瀬悟策の『リラクセーション―緊張を自分で弛める法』を事前に読んでいく。「何かをするぞ」と目的を持ったときに潜在的には筋緊張があり、これを意識的にゆるめるということは普段しないから、意識的にゆるめることが可能、というようなことが書いてある。 事前の説明は丁寧で、 ・力を抜くことになれる ・塩水が目に入らないように目をつむる ・塩水が染みて気が散らないように ・光は消しても、つけていても 大きく気になることはなおして、小さく気になることは気にしない方向へ、という瞑想の説明に近い。 浮かぶことには5分くらいで慣れて、体に入った力をゆるめていく。光が見えたとか音が聞こえたという有形神秘主義に入るとは思っていない。ただ単にリラックスして浮かぶ時間を費やして脳が静まって行くに任せる。 20分はたっただろうか、変容していくという予感がした。これは単純に経験的なもので何度も意識が変容した経験に似ていた。目を閉じたときの視覚が、幾何学模様の動いているものに変わってくると、次第に確実に幻覚が見える。しかし、いつもとものすごく大きな視覚的変化はない。けれど、見入ってしまうという時点で何かしら起きている。 このように少し考察に入ってしまい、リラックスの反対に向かっていると気付いた時には、さらに深い状態に入るチャンスは逃したようだ。もう一度挑戦。海水で体を揺らしたりして、慣れて、また力を抜いていく。 何度か静めていくと、最終的に「ただすべてを見つめている」視点に少しだけ入った。ここまで静かな観察者になったことはない。なにかしらの変性意識に入ったまま出てくる。とてもさっぱりしている。 翌日も、はしゃいでいる自分のレイヤーの下に、それをただ単に観察している観察者の感覚が残っていることに気付いた。眠りに入るときにも力の抜き方が思い出された。こうしたことはしばらく何回も再現された。