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あたらしい世界へ

池袋シネマサンシャインの12F、日本最大のIMAXで映画シン・エヴァンゲリオンを見た(完全対応ではなく横長画面だったけど)。というか、それまでエヴァをじっくり見たことがなかった。2020年から「エヴァの新映画公開するする詐欺」が2回あったので、2回も「映画を見に行くならアニメからじっくり見なきゃ~」と思ってほぼ全てのエヴァの動画を見る余裕ができ(細かいバージョン違いがあるのは飛ばして)、それだけ見ても意味が分からないアニメだった。さらにオリラジ中田のエヴァ解説4時間Youtubeを見て、万全の状態でこのシン・エヴァを見た。(それに比べてギャグアニメの映画・銀魂ファイナルは不完全状態で見た・アニメだけで367話もある)

主題歌は、宇多田ヒカル One Last Kiss

寂しくないふりしてた
まあ、そんなのお互い様か
誰かを求めることは
即ち傷つくことだった

こういう歌詞があるけど、主人公たちは完璧なヒーローではなく複雑な親との関係の中にいる。そういう暗い場面が好きじゃなくてじっくり見てなかった。この歌詞はアニメの中では特にシンジのことだろうけど、多くの人が自分と重ねて見たり、そうでなくてもそれが分かるような描写だから面白くなってくる。みんな弱さを隠そうとして、ずれてしまって人とぶつかる。

男性的なゴツゴツしたロボではなくて、エヴァという乗り物は流線型で、生物で獣のように暴走することがある。アニメは20話あたりからエヴァの戦闘ではなく、精神世界のぐちゃぐちゃを描き出すんだけど、これもそれまでのアニメとは違うんだろう。斬新だったんだろう。幻覚剤が世にあふれ、心の世界に焦点が当たったのが90年代でこの時代のアニメだ。この精神世界ぐちゃぐちゃの展開も、敵の使途の攻撃だったと解釈される。いつしか敵は物理的ではなくて精神的に攻撃をしてきた。暗い感じで、最終回26話では、何もない世界に行ってしまう。仏教の小さい悟り。仏教用語で空無辺処など。それは小さな救いの要素。何もない世界は、すべてはひとつなんだけど、やはり何もない。そこから他人がまた出てきて(仏教の縁起)、アスカが「やっと分かったの?バカ、シンジ」と叫んで平凡な日常が再開する。自分がここに居ていいんだ、って、戻ってきたのが平凡な日常。アニメっぽいな終わり方だとは思うけど。

この最終回を長時間にして描きなおした20世紀最後の映画が、劇場版「Air/まごころを、君に」(1997年)で、サイケデリックに、もっとバットリップのような世界にぶっ飛んでいる。ヴィジュアルでは「聖とグロテスク」、内容では精神のぐちゃぐちゃ、主体と客体の混合、また無へと極まってから、そこから再び他者を求めて、縁起で現実に帰ってくる。「The end of evangelion One more final: I need you.」とテロップが出てきて、「エヴァの終わり、もうひとつの終わり: あなたが必要」だと思うんだけど、また最後にはアスカが出てきてシンジは泣くんだ。いろいろ解釈はあるけど、わけの分かんない他者がまた現れた世界が嬉しくて泣いたんだと思う。個人的にそう思ってる。

この最後の映画から、新たに10年後に新劇場版がはじまり、ストーリーが変わらない「序」から、徐々にストーリーに変化が現れ新キャラのマリが出る「破」、意味不明な「Q」まで進んだ。だから新劇場版だけでも一応完結はする。「Q」からは、特に幾何学的に動く機械が現れるようになってヴィジュアル的に「聖とグロと幾何学」へとブッ飛び要素が増える。マリが出てきたんで、最近のアニメのテーマによくある繰り返し(やり直し)の要素が入ったと解釈される。俺たちは何度もこの世界を少しづつ変えながらやり直す。これが合わさったのが、今回の最後の「シン・エヴァンゲリオン」で、「Air/まごころを、君に」を超える展開、もうこれまでとは違う展開になっていく。ついにシンジの親父のゲンドウまでトリップしだす(オヤジまで幻覚剤を飲んだかのように)。みんなでトリップしつつ、心のロックが深いところで氷塊していく。これはもう上手くいった幻覚剤トリップのような。希望にあふれる終わり方になっていて、ここまでのぶっ壊れた感じはなかなかないだろうっていう、伝説的なアニメとして完結した。

幻覚剤や薬物の新刊

『幻覚剤は役に立つのか』(原著2018年)は、デヴィット・ナットなど現代の幻覚剤の研究者も紹介され、現行の科学での幻覚剤の作用の仕方の解説のある本です。そろそろ欧米で幻覚剤が医薬品として販売されてくるので、そういう前提にある本。

デフォルトモードネットワークの説明もある。これは雑念のことだと解釈しているけど、特に何にも集中していない時(あとは寝る前)にふらふらとさまよいだす心のことだと思うけど、思考がダラダラとさまよっていて延々とよくない思考を繰り返したりする。幻覚剤の使用後には、ここに変化を与えていて、うつ病などに持続的な効果があると現代的には解釈されている。

で、この本には関係ないけど、これを止めるには何も幻覚剤だけでなくて、気づいて停止すること(この能力は仏教的には伸びることになっている)、前向きになったり(ポジティブ心理学が勃興しているのでそれ調べると良い)、気分転換をすること、何かに集中すること、快感のある薬物(カフェインでもアシュワガンダでもそうだ)でごまかすこと(以上のような依存性・副作用の少ないものがいい)、気心の知れた人との談話や触れ合いによるオキシトシン分泌から、セックスでも同じ要素かと。

ヨハン・ハリ『麻薬と人間 100年の物語』

『麻薬と人間 100年の物語』(原著2015年)は、薬物全般が対象で、古い禁酒法の時代から規制薬物(当時は酒の密売)がマフィアの資金源となり規制が逆効果を生んできたという内容で、最近のアメリカでの大麻の非犯罪化まで話題を連続させている。強引な規制が薬物以上に破壊的な結果をもたらしてきた。

2020年後半では、薬物規制条約の中で、大麻は「最も危険」(ほぼ利用不可のような)という分類から一段階下がった(乱用に気をつければ利用できる)。こうした流れで世界的にもオピオイド(厳密にはこれが麻薬、摂取量を間違えると死ぬ)が減って、大麻(摂取量で死ぬことはない)が増えてきた。

それ以外では、国連が持続可能な開発目標(SDG)ということを言い出して、政策や企業の動向を決めるのに非常に重要になっている。化粧品でも欧米ではクリーンビューティーが勃興してきて、持続可能性に配慮した製品を作るブランドが注目されてきている。薬物政策について国連は、人権を重視しよう、簡単な薬物所持のような軽犯罪は逮捕ではなく罰金など非犯罪化の対応をしよう、人権を重視して犯罪者として扱わず、治療し、社会に再統合させよう、など大きく方向転換している。人間も持続可能なように薬物政策をとろうということですね。壊れていく世界と、やり直そうとする世界。希望が見えるのはどっち。

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