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ティモシー・リアリー

ティモシー・リアリーTimothy Francis Leary, 1920年10月22日 – 1996年5月31日)は、意識の自由を探求し続けた心理学者である。初期にはサイケデリックスにより、後期にはパーソナルコンピューターによるサイケデリック革命を提唱し、死期に際しては死の概念を大きく広げた。彼が文化に与えた影響は計り知れない。
Timothy Leary – setup, and tripping version by maboroshi.

山本常朝(鍋島藩)「世界はみなカラクリ人形なり。幻の字を用いるなり」『葉隠』

伊藤穣一ティモシー・リアリーはコンシューマー・エレクトロニクスを通して個人個人に能力を与えることで全体主義的テクノロジーとの戦いをやり抜けと言っています [1]

そして、彼が主張する「権威による、統治を必要としないサイバースペース」は、そのままティモシー・リアリーの”RONIN(浪人)”概念に符合する。
「21世紀のサイバー社会における”良い人種”とは、自分たちで思考できる人間を指す」
(新元良一「ドラッグ教祖vsラブ&ピース伝道師」『エスクワイア日本語版』通巻95号、1995年8月、64-66ページより引用。)

心理学者としてのティモシー・リアリー

リアリーは、ハリー・スタック・サリヴァン(1892年 – 1949年)の理論、人格は人間関係によって理解できるという考えを進展させるため、まず人格検査モデルを発達させ、それから相互関係によるアプローチを開発した [2]。行動主義の心理学者として論文を幅広く発表し、「リアリー」という人格テストをCIA(アメリカ中央諜報局)が雇用の際に用いていたほどである [3]
リアリーは、集団療法をつくりお互いに学びあうためにみんなが対等なグループのメンバーの関係の中で答えを出し合い問題を解決していった [4]。リアリーの信条はヒューマニズムであり、外部に想定した神ではなく人間が自ら答えを見出すということであった [5]
1957年には、『人格の人間関係による分析(邦訳なし)』(Interpersonal Diagnosis of Personality, 1957) [6]を出版し高い評価を受ける。この著書では、人格は個人間の駆け引きでうまれたルールによって定義されたゲームであり、人間関係において起きていることはゲームを定義する権利をめぐって行われる取引であるとした [7]。つまり、リアリーに言わせれば、

「打つのはだれだろう?投げるのは?ゲームのルールは?いくつストライクを打たれたらアウトになる?ルールをつくるのはだれだ?そしてそれを変更できるのは?こういうのが大事な疑問点なんだ。<病気>やら<神経症>やら<エゴ><本能><成熟>とかそんな抽象的な言葉に取りつかれている連中などくそくらえだ」
(ロバート・A・ウィルソン『コスミック・トリガー-イリュミナティ最後の秘密』武邑光裕訳、八幡書店、1994年4月。ISBN 978-4893503176。67ページより引用。(原著 Cosmic Trigger, 1977))

となる。

リアリーによる研究は、相互関係によって互恵を生み出す現代の心理療法のさきがけであると評価され [8]、リアリーの晩年にも『人格の人間関係による分析』が再評価され再刊の話が持ち上がっていた [9]。(Amazon.co.jpを見ると2004年の再刊本がある)

サイコセラピーの分野では革新的な本としてしばしば引用され、今でも心理学の分野では影響力を持っている。IDPで画期的だったのは、自己決定の概念だろう。(中略)なんでも親や社会のせいにする精神科の悪習を改めよう、という提案でもあった。個人の自律と行動の責任を受け入れることに、私は興味を持った。
(ティモシー・リアリー、R・U・シリアス『死をデザインする』栩木玲子訳、河出書房新社、2005。132ページより引用。ISBN 978-4309906591。(原著 design for dying, 1997))

1955年には妻のマリアンヌが自殺し、カイザー基金病院の心理学研究所理事長の地位を捨てヨーロッパを放浪していた [10]。友人のバークリー・人格測定研究所のフランク・バロン [11]がマジック・マッシュルームの話をするがよくわからかった [12]。フランク・バロンは創造性の心理学的研究で権威である。フランク・バロンの紹介でハーバード人格研究センター所長のマクリーランドと接触できた。マクリーランドは『人格の人間関係による分析』を読んでおりリアリーにこう話した。

「君がこの本の中で提案しているのは、科学者や教師、臨床医の役割の根本的な改革だ。一律で評価の定まった基準によって、被験者や生徒や患者を調べる代わりに、平等主義的、あるいは情報交換的な接し方をすべきだ。そういうことだね?」
「君の主張していることが、アメリカの心理学の未来となることは、疑いの余地がない。(中略)ベンジャミン・スポック、カール・ロジャース、エイブラハム・マズロウ、ハリー・ストック・サリバン、ミルトン・グローミングらは、自己能力による精神力や人格形成に重点を置き、患者が権威主義的な医者や独断に依存することを防ごうとしている。(中略)
君こそまさに、ハーバードを眠りから覚ますために、私たちが必要としている人間だ」
(ティモシー・リアリー『フラッシュバックス-ティモシー・リアリー自伝』山形浩生訳、久霧亜子訳、明石綾子訳、森本 正史訳、松原永子訳、1995年。ISBN 978-4845709038。27-28ページより引用。 (原著 FLASHBACKS 2nd edition, 1990 1ed:1983))

ハーバード大学でのサイケデリックスによる人格変容の研究

ハーバード大学の教授となったリアリーははじめ、実際の問題が起こっている現場、創始されたアルコール中毒者の自助グループ、スラム街のセンター・刑務所などで集団で患者中心にして問題を解決していく集団精神療法を研究していたが、性格を変えるには条件づけが繰り返されることが必要で短期間での変化はできないと考えていた [13]
1960年には、メキシコ大学の人類学者、ゲルハート・ブラウンに紹介されマジック・マッシュルーム(有効成分シロシビン)を試し、古代文明と人類の進化を見るというトリップをした [14]。以来、マジック・マッシュルームを使ったときの状態のように自然の豊かさがはっきりと感じられるようになり、この現象は後にフラッシュバックと呼ばれるようになる [15]。こうした物質は、これまでの現実が虚構に過ぎないと気づかせ、人生が変わるほどの衝撃を与え、脳をプログラムしなおすことができると考えた [16]

「心理学において真の自己洞察と自己認識が実際の行動を変化させる鍵となることは自明の理なんだ」。リアリーは熱く語った。「そしてここに瞬時にして自己洞察できる手段がある!」
(マーティン・トーゴフ『ドラッグ・カルチャー-アメリカ文化の光と影(1945~2000年)』宮家あゆみ訳、清流出版2007年。ISBN 978-4860292331。104ページより引用。(原著 Can’t Find My Way Home, 2004))

ただ、オルダス・ハクスリーはこうした実験の障害は、バチカンからハーバードに至るまでいる、聖書で禁じられた智恵の木の実の研究を阻止しようとする人々だと忠言した [17]。リアリーは、ユダヤ教とキリスト教にはびこる権力集団に正確に狙いをつけたと回想する [18]

リアリーは精神病が治療可能だと信じ、その根拠として刷りこみと条件づけ(学習されて繰り返されてしまう思考や行動)が固定されてしまうと人間の精神は故障しやすいと考えた [19]。したがって、意識を変容させ新たに刷りこみを行える正しい化学薬品の正しい使用法によって、人間性そのものを治療しようと考えたが、LSDがそのような薬品である可能性を示唆していた [20]。共同研究者として、スタンフォード大学で心理学を専攻し、スタンフォード大学・カルフォルニア大学・ハーバード大学で教鞭をとっていた向精神性物質のパイオニアであるリチャード・アルパートも加わっていく [21]。彼は鉄道会社の御曹司であった。

1961年の応用心理学国際会議では、人間の行動はすべて文化によって決められたゲームであり、このゲームを断ち切る最も有効な方法は適切に使用されたドラッグによるサトリであると発表した [22]。リアリーは、LSDの作用で神経学的に刷り込まれているゲームを停止させ、新たなゲームを刷り込むことができると考えていた [23]

1962年のサマーキャンプでは、サイケデリックスの効果は周囲の人たちの行動でほぼ決まると確信していたため、セッティングの理論を試し、チベット仏教の経典『チベット死者の書』 [24]をサイケリックス用に書き直し、ここではへブンリー・ブルーなどのアサガオに含まれるリゼルグ酸アミドを用いてトリップした [25]

『チベットの死者の書-サイケデリック・バージョン』

『チベット死者の書』 [26]についての説明はリアリー自身の記述と共同研究者のリチャード・アルパートの回想に頼るとする。

チベットの本はアングロ仏教語からアメリカ語幻覚方言に翻訳した。このすばらしい作品は、死後四十九日間に起こる意識の段階について記している。(中略)魂が様々なレベルを通っていくときに覚えておくべき、あるいはガイドが思い出させてやるべきバルドスと呼ばれる技術も示している。
(ティモシー・リアリー『フラッシュバックス-ティモシー・リアリー自伝』山形浩生訳、久霧亜子訳、明石綾子訳、森本 正史訳、松原永子訳、1995年。ISBN 978-4845709038。205ページより引用。 (原著 FLASHBACKS 2nd edition, 1990 1ed:1983))

「これらは道標であり、その中心となるのが『死者の書』だった。この本に出会ったのはシロシビンの会合を五、六回、やったあとだった。本を開くとこの前の土曜の晩に体験したことがそのまま説明されていたんだ!この体験は言葉で表すことができないというのが、僕らの基本的に感じていたことなのだが、何と二千五百年前の書物に正確にそれが描写されていた。」
(マーティン・トーゴフ『ドラッグ・カルチャー-アメリカ文化の光と影(1945~2000年)』宮家あゆみ訳、清流出版2007年。ISBN 978-4860292331。118ページより引用。(原著 Can’t Find My Way Home, 2004)

つまり、死後の世界について書かれた考古学的な本によって、サイケデリック体験を正確に描写しガイドすることができたのである。ガイドに従って、神秘的な幻覚体験に浸るのではなく、自我を超越することを目指している。1964年出版のハーバード大学の研究者による『チベット死者の書-サイケデリック・バージョン』は、『チベット死者の書』がサイケデリックスによる体験のマニュアルになると考え体験をナビゲートする目的で説明を加えたものである。有名な「セット(予備知識や心構え)とセッティング(落ち着ける環境やトリップをガイドしてくれる仲間)」、そして忘れがちなのはサイケデリックスの選択とその投与量の理論が提唱されている。

ハーバード大学は研究を支援し、研究は国際的な関心もあったが、反対派の圧力が大きかったため、「精神解放のための国際財団」(IFIF)を組織し、国内全域にサイケデリックセッションの訓練センター設置する計画を組んだ [27]。IFIFの会員はたちまち3000名になり、1963年夏、メキシコのジワタネホのホテルへ本部を移し5000人も押し寄せる [28]

1963年中にIFIFは中止し、大富豪のメロン家の跡取りの支援を受け、ニューヨーク州のミルブルックにて、作家のヘルマン・ヘッセの小説『ガラス玉遊戯』(1943年)からとった「カスタリア協会」を名乗り、週1回のLSDセッションと論文を書く日々を送り、G・I・グルジェフのドラッグ体験を追求した [29]。ミルブルックでは、大勢が悟りを開くための画期的方法を模索していたが、水道水にLSDを混入する以外に画期的方法はなかった [30]
オルダス・ハクスリーの死去の知らせが来ると、大量のヘブンリー・ブルーを摂取し、過去と未来へとトリップする [31]
1964年には、J・F・ケネディ大統領が暗殺され、政府の関係者をトリップさせたいとしてLSDのトリップの方法を教えたメアリー・ピンチョット・マイヤーはケネディと大麻を吸っていたらしいが、彼女も謎の銃殺を遂げ、彼女の日記もどこかへ紛失してしまった。

1965年秋には、リアリーは音とストロボによってLSD体験をシミュレートし、ヨガ、チャクラを上らせるというワークショップをやっていたが、マスコミの注目を浴び、講義、切符は売り切れだった [32]
メディアに関する思想家のマーシャル・マクルーハンとの昼食でインスピレーションを受け、かの有名な「ターン・オン、チューン・イン、ドロップ・アウト」というスローガンを思いつき、意味は、ターン・オン:神経を活性化するドラッグによって異なる意識レベルに入り込む、チューン・イン:新しい視野で世界と関わる、ドロップ・アウト:これまでの自己からの変容である [33]。以降、スローガンとしてさまざまな機会に繰り返し発言した。ドロップ・アウトは、自分を見つけろ(find self)です。まず現実のコントロールを自分でしているか。

1966年には、霊性探求同盟(League for Spiritual Discovery)という宗教団体を設立し、LSDを神聖化することで法的な弾圧から守ろうとし、アルパートと共著で『エクスタシーの政治学』(邦訳なし)という教団のバイブルも著した [34]。(同年、アメリカ原住民のインディアンに信仰の自由としてサイケデリックス・サボテンのペヨーテの使用が許可された背景がある)


John Lennon – give peace a chance(平和を我等に)
最後にリアリーが。

1968年の春から夏にかけてカウンター・カルチャーを支持する勢力が出現、俗に言うヒッピーだ。アメリカではベトナム戦争が行われ反戦運動が活発に行われた。この時代背景の中で、マルコムX、J・F・ケネディの弟のロバート・ケネディ、黒人解放を訴えたキング牧師が暗殺される。
1969年、1965年に少量のマリファナ所持で懲役30年をでっち上げられ精神の自由のため最高裁までいった裁判でマリファナ法は違憲とされ自由となったリアリーに取材が殺到、カルフォルニア州知事に立候補することを宣言、ビートルズのジョン・レノンがキャンペーンソングに「カム・トゥゲザー」を作曲してくれることになり、映画も作ろうとした [35]。ジョン・レノンとオノ・ヨーコと共に「ベッド・イン」というイベントで曲を一緒に収録する [36]。マリファナを取り締まる法律は翌年新たに作られた [37]
1969年12月、カルフォルニアで行われたローリング・ストーンズのフリーコンサートでは、20万人とも50万人ともいわれる観衆の中に歌手のミック・ジャガーと共にリアリーはヘリコプターで旋回しステージに降り立つ [38]

それもつかの間、ただちに拘留されると言い渡される。刑務所に収監される際の人格テストが、カイザー基金病院時代にリアリーが開発したものであったため [39]、温和な人物と結果が出るようにし脱走が簡単な刑務所に収監された後、脱獄、パリへ飛ぶ [40]。スイスではLSDの生みの親である化学者のアルバート・ホフマンと会っている。

いつしか、リアリーの『自分の宗教を始めよう』(邦訳なし)を読んで、ジョン・グリッグスが結成した永遠なる愛の兄弟団(The Brotherhood of Eternal Love)という上質のLSDとマリファナを安価で売りさばく組織のボスにされていた [41]。脱走の罪も加えて25年の刑期、最強の刑務所フォルサム刑務所に収容される [42]。リアリーをどうにか捕らえようとする国家権力について、作家のウィリアム・S・バロウズはこのように指摘している。

しかし、丸三十年近くも離れた今、彼らはなにか核心をついていたにちがいない――そうでなければ、彼らの探究に対して、当時の秘密警察があれほどのパニックを示しあれほどの残酷な判決を行うはずもない。
(ウィリアム・S・バロウズ「序文」ティモシー・リアリー『フラッシュバックス-ティモシー・リアリー自伝』山形浩生訳、久霧亜子訳、明石綾子訳、森本 正史訳、松原永子訳、1995年。ISBN 978-4845709038。11ページより引用。)

リチャード・アルパートは、東洋でヨガなどの修業をし、ラム・ダスと名を変え1970年代には東洋思想の普及者となった。ラム・ダスとして『ビー・ヒア・ナウ』 [43]などの瞑想世界を紹介する本を出版している。ラム・ダスは以後、自分の瞑想がうまく上達しているかを比較するために [44]、2年に1回ぐらいLSDやシロシビンを摂取した [45]

クラブカルチャーの出現

1960年代、デビット・マンキューソ(David Mancuso)は、LSDを試し『チベットの死者の書-サイケデリック・バージョン』を読み、サイケデリック体験を重ねた [46]。そのうち都会の中で一切の所有物を捨て、ヨガをするようになったが、ヨガをするだけでは答えを見出せなかった [47]。1970年、マンキューソはロフト形式のフロアで知り合いに招待状を送り、音楽をかけてみんなでダンスをするようになった。マンキューソが追い求めていたものは、人々が集まり音楽を媒介にして家族のように楽しめる空間だった。以降、一貫して営利目的を持つようなことはなかった。マンキューソは『チベット死者の書-サイケデリック・バージョン』に基づいて音楽をかけた。

また、マンキューソはゲストが一晩中体力を維持出来るように『チベット死者の書 サイケデリック・バージョン』とそのスピリチュアルな啓もう理論に基づき、この「自然のリズム」を中心に曲をプログラムするようになった。「リアリーはひとつの旅には三つの段階もしくはバルドがあると言っているけど、自分でもこの構造を使っていたことに気づいたんだ。最初のバルドはとてもスムースで完璧で穏やか。二番目のバルドはサーカスみたいな感じ。そして三番目のバルドは再入場のためのもので、このおかげでみんな外の世界に比較的スムースに戻っていけるんだ」
(ティム・ローレンス『ラヴ・セイヴス・ザ・デイ 究極のDJ/クラブ・カルチャー史』ブルース・インターアクションズ、2008年6月。ISBN 978-4860202811。108ページより引用。(原著 Love Saves the Day: A History of American Dance Music Culture, 2004))

そこは、自然にザ・ロフトと呼ばれることになっていった。ザ・ロフトには、さまざまな階級、さまざまな人種の人々が集まり、アルコールやドラッグはなく有機的な食べ物が用意され朝まで快適にダンスをすることができた。マンキューソはバレンタインデーにあわせて Love Saves the Day (愛は勝つ)というパーティーを開いた [48]。ザ・ロフトでの体験を元にニューヨークには、ザ・ロフト形式のダンスフロアが増えていく [49]。そして、ディスコという文化が大きくなっていった。
ディスコが増えてくると、マンキューソは有名ではないDJもレコード会社から公平に扱われるように、レコード・プールというDJの団体を作った [50]
マンキューソは川のせせらぎの生命的な音に気づいてから、限りなくライブ感のある音が出るようにサウンドシステムの改善を追及していった [51]。このことは多くのディスコにサウンドシステムの質の向上をもたらした [52]。1970年代には、ディスコがさまざまな国にあふれ流行の最高潮に達したがその後衰退していく。

しかし、ダンスフロアの文化自体は衰えず、1980年にはザ・ロフトに通っていたフランキー・ナックルズがシカゴでウェアハウスという名のクラブハウスをつくり、そこでかかる音楽は次第にハウスミュージックと呼ばれるようになっていった [53]

1990年代に入ると、サンフランシスコでレイブシーンに大きな影響を与えていったトゥーンタウンというハウス・ミュージックのイベントが開催され、そこではMDMAが流通していた [54]。そして、コンピュータの文化と自然と戯れることが融合していった [55]

収監中のリアリー

リアリーは刑務所収監中にも、SMI2LE、宇宙移住(SPACE MIGRATION)、知性増大(INTELIGENCE INCREASE)、寿命延長(LIFE EXTENSION)の構想を練り、『神経政治学』『大気圏外進化論』などの著作を練りあげた。

1973年7月から8月にかけて、フォルサム研究所で高次知性体とコンタクトするために4人のテレパシー・チームを結成し、スターシードのメッセージを19の断片として受信し、4人でメッセージを要約した [56]

リアリーは神経系の8つの回路をまとめ、4つは左脳にあり地球上での生存に関与し、残り4つは地球外的なもので活性化されず眠っている [57]
1・生物生存回路は誕生とともに活性化され接近と回避、役に立つもの危険なものに振り分け、2・情動回路は攻撃的・協調的行動を引き起こす刺激を決定し、3・器用さ-シンボリズム回路は、言語に関する能力で、4・社会的-性的回路は性的役割を決定する [58]。5・神経身体回路はハタ・ヨガや性的エクスタシーや感覚剥奪や激しいショックやマリファナで活性化され恍惚的な浮遊感を味わい、6・神経電気回路はラージャ・ヨガやペヨーテに含まれるメスカリンやマジック・マッシュルームに含まれるシロシビンやLSDによって活性化され、回路5の身体的恍惚からも離れて自分を認識し再プログラミングしなおす、7・神経遺伝子回路はラージャ・ヨガやLSDによって活性化され幽体離脱あるいは過去や未来のヴィジョンを見る、8・神経-原始回路はケタミンやLSDの大量投与によって活性化され天使やエイリアンなどの存在に遭遇する [59]

リアリーは、後に1976年当時はハイテクノロジーに無知だったために、過度に宇宙を強調したと回想する [60]

時の政権がウォーターゲート事件で失脚するとリアリーは釈放される。政府はリアリーに関する5万ページにも及ぶ機密資料を作っていた [61]。ソ連などのスパイとして国をかく乱しているのではないかと疑われていたということである。

サイバーカルチャーを牽引したリアリー

晩年はドラッグも瞑想も必要ないと述べ、もっぱらコンピュータの可能性に言及した [62]。ドラッグを飲むことが重要なのではなくて、自分自身で考えるということが重要なのである [63]。そして、ゲームとルールを変える手段はもっぱらコンピューターであると捉えたのである。

SMI2LEの概念はSFやテクノロジー好きな層に支持を受け、リアリーはさらにテクノロジーによる人間の可能性の拡張に目を向けていった [64]。リアリーの講演に足を運んだ人の半数以上はアップル・コンピュータ、IBMなどの一流のプログラマであった [65]。R.U.シリアス(本名ケン・ゴフマン)は、1984年に科学やアートを扱った『ハイ・フロンティア』誌を創刊していたが [66]、リアリーの構想に動かされ『モンド2000』誌を創刊し、これは後に『WIRED』誌となった [67]

リアリーはコンピュータをCIAのような脅威だと思っていたが、ヒッピー上がりが個人が使えるコンピュータを作るようになった [68]

ヒッピーによるパーソナル・コンピューターの量産

アップル・コンピューターを設立したスティーブ・ジョブスの、麦畑でのLSD体験はとても良かったようで、サイケデリック体験についてこう述べている。「突然、麦畑がバッハを奏でるんだ。あんな素晴らしい体験ははじめてだった。麦畑のバッハで指揮者になった気分だったよ [69]」。ジョブスは、コンピューターの会社に入りお金をためると悟りを求めてインドへ行き、帰ってくるとスティーブ・ウォズニアック(ウォズ)と共に個人用のパソコン(パーソナル・コンピューター:PC)を作りはじめ、21歳の時には会社が上場する [70]。ウォズは、電話回線をハックしローマ法王に電話をかけた生粋のハッカーである。アップルという命名は、ジョブスがアップルオーチャードというコミューン(たぶんヒッピーの共同体)から帰ってきて決めた [71]
リアリーは彼らの作ったパーソナルコンピューターによる情報宇宙の可能性を強調するようになる。1970年代に書いた著作についてこのように回想する。

サイバー・キッズと呼ばれるこの新しい種は、スポック博士に自分自身で考えることを奨励され、テレビ広告でリアリティの消費者グルメになるよう訓練され、情報世界を探求しその中に住む最初の世代であり、たえずゆらめき変化しながら大衆の意識を映しだす画面上に投影された電子の束によって考え、コミュニケーションする最初の人類の一団なのだ。(中略)
信じてもらえるかは別として、私は本書をアップル・コンピュータが到着する以前、擦り切れた古本の山に囲まれて書いたのだ。それは、スティーブ・ジョブスとスティーブ・ウォズニアックが思考をデジタル化し、プロセスし、その分子構造を変え、それを画面上でコミュニケートすることを可能にする最初のサイバー・コンピュータ、最初の個人的知識の装置を発売する前のことだった。
当時の私は、新しい若者が自然に、デジタル化された思考を家庭用の電子画面でプロセスしながら育つようになるだろうという事実にまったく気づいていなかった。
(ティモシー・リアリー『大気圏外進化論』菅靖彦訳、リブロポート、ISBN 978-4845710355。9-11ページより引用。(原著 INFO-PSYCHOLOGY, 1987))

神経系の8つの回路の後ろ4つは、5・サイバー身体による快楽主義的なテクノロジーによる個人的体験、6・サイバー神経による自分自身の脳を再プログラミングする情報世界の創造、7・DNAの解読と再プログラミング、8・ナノ・テクノロジーと刷新される [72]

リアリーはアップル社の販売するパソコンの「マッキントッシュ」を使った自己対話ソフト『マインドミラー』を製作し販売した。

インターネットと表現の自由

ティモシー・リアリー目は脳の窓口だから受け身でTVを見てる人間はTVのスクリーンをコントロールしてる人間に脳をプログラムされている。(中略)でも、今の子供たち、ニンテンドー・ジェネレーションは違う。彼らはみずからの意思でスクリーンに働きかけている。ゲームで遊んだ後は自分のスクリーンを作り始めるだろう。 [73]

SF作家のウィリアム・ギブスンによればサイバースペース(電脳空間、今でいうインターネット上のサイトなどの情報網)は膨大な人びとによって作られる幻想である [74]。リアリーはギブスンをサイバーパンクのライターに転向させている [75]。リアリーはマーシャル・マクルーハンを高く評価し、メディアを変えることによって自分や文化を変えることを主張した [76]。パソコンのネットワークによって、もはや権力は情報の流通をコントロールできず個人が自由に情報を伝達できる時代となる [77]。これまでテレビの放映によって一方的に価値観をプログラムされていたが、モニターの中を操作することによって自ら脳をプログラムできるようになるということである [78]。また、コンピュータによって簡単に距離を越えて世界の人々とリンクでき [79]、モニターの中を操作することでコミュニケーションをとることができる [80]。それもマルチメディアを使ってグラフィックなどで表現すれば言葉の壁を越えることもできるというわけである [81]。思考を世界じゅうに複製するこうした新しいコミュニケーションは、国家や宗教、家族さえも解体していくと述べた [82]

カオスとカトリック教会


Timothy Leary – How to Operate Your Brain
映像に集中し特に視覚をカオスに晒してください。
音量はなるべく上げて全画面モードボタンを押しましょう。
視覚が重要で見続けると体の境界が消えたりします。

リアリーはサイケデリックスによる視覚体験をしたとき、それがカオスに晒されているということだと気づいたが表現する方法が分からなかった [83]。言葉では説明できないが [84]、コンピュータはこのサイケデリック状態を表示することができるようになった [85]。サイケデリック体験による幾何学的な視覚イメージは、ジャック・コーヘンとバード・アーメントロウトが脳の視覚皮質の生化学的活動に関係する数学的形態と主張している [86]。網膜にカオス状態を生み出すパターンを浴びせることで脳を再プロミング状態に整えるとリアリーは述べた [87]

リアリーによれば、カオスはキリスト教が否定的に見てきたものである [88]。地球ではなく太陽が中心であるという説を唱えたことによって、キリスト教会はガリレオ・ガリレイを異端審問にかけ、ジョルダーノ・ブルーノを火あぶりの刑にしたが、多くを「知る」ということはキリスト教の秩序を乱す悪魔的なことなので抑制されてきたわけだ [89]。個人の自由をよしとするヒューマニズムを尊重するリアリーによれば、自分でやる(DIY:Do It Yourself)ことはキリスト教にとって悪夢である [90]。特に、カトリック教会は知るということに常に反対してきた。

そして、むろん、教会は完全に科学に反対しています。プロテスタントはもっと科学的でした。グーテンベルグ以降に生まれたために、より機械的だからです。けれども、カソリック教会は、今日に至るまで、一切の科学的アプローチに激しく反対してきました。
( ティモシー・リアリー「自分自身で考え、自分で死んでいくということ」菅靖彦訳『イマーゴ』1995年10月、214-221ページより引用。)

社会や家族からプログラムされた価値観から抜け出し自分の存在を決め脳をプログラミングしなおすというジョン・C・リリーの考えを支持し、「親が自分にプログラムするカトリックの宗教とかいうものをリ・プログラミングするわけです [91]」と述べ、そのためにプログラムされたことに疑問をもち自分で考え一人ひとりが自分を再度プログラムしようと訴えた [92]


忌野清志郎 – イマジン

John Lennon- Imagine (Acoustic)

デザインされた死

死期に際して、リアリーは死の概念を大きく広げようとした。『死をデザインする』 [93]という著書を遺している。根本的な思想は不死であり、死に選択肢を与え制御するためにリアリーは自分の脳を冷凍保存して、死後50年後くらいにそのときの技術によって友人たちとともに蘇生することを選んだ [94]。リアリーは、これを神のはたらきに対する究極の異端とみなした [95]

再び知覚の扉は開かれた

ハーバード大学でのサイケデリックスの研究停止から40年たち、2005年ごろには再びサイケデリックスによる精神疾患の治療の研究が再開される [96]
複数の論文の分析系がいくつか出た2010年以降ノリに乗っている、アメリカのハーバード大学はマジックマッシュルームやLSD、MDMAの研究を再開、イギリスでは、デヴィット・ナット・元イギリスドラッグ乱用問題諮問委員会委員長がマジックマッシュルームをうつ病に応用した研究をはじめ、サイケデリックスの非犯罪化を提唱する。英米の”科学”はサイケデリックスを治療に応用しつつある。

参考文献

  • ティモシー・リアリー『フラッシュバックス-ティモシー・リアリー自伝』山形浩生訳、久霧亜子訳、明石綾子訳、森本 正史訳、松原永子訳、1995年。ISBN 978-4845709038。 (原著 FLASHBACKS 2nd edition, 1990 1ed:1983)
  • ティモシー・リアリー、リチャード・アルパート、ラルフ・メツナー『チベットの死者の書-サイケデリック・バージョン』菅靖彦訳、1994年。ISBN 978-4893503190。(原著 The Psychedelic Experience, 1964)
  • ティム・ローレンス『ラヴ・セイヴス・ザ・デイ 究極のDJ/クラブ・カルチャー史』ブルース・インターアクションズ、2008年6月。ISBN 978-4860202811。(原著 Love Saves the Day: A History of American Dance Music Culture, 2004)

外部リンク

出典

出典
^1 「ジェネシス・P・オーリッジインタビュー-カットアップによる世界の再構築」伊藤穣一・聞『ユリイカ』24(5)、1992年5月号。75-83ページ。
^2, ^8 ティモシー・リアリー『大気圏外進化論』菅靖彦訳、リブロポート、ISBN 978-4845710355。5ページ。(原著 INFO-PSYCHOLOGY, 1987)
^3 マーティン・A.リー、ブルース・シュレイン『アシッド・ドリームズ-CIA、LSD、ヒッピー革命』越智道雄訳、第三書館、1992年。ISBN 978-4807492039。81ページ。(原著 ACID DREAMS The CIA, LSD and the Sixties, and Beyond, 1985)
^4, ^5, ^9, ^88 ティモシー・リアリー(菅靖彦インタビュー)「ニューエイジの現在形」『イマーゴ』1993年11月、198-207ページ。
^6 Timothy Leary, Interpersonal Diagnosis of Personality, 1957 ISBN 1592447763.
^7 ロバート・A・ウィルソン『コスミック・トリガー-イリュミナティ最後の秘密』武邑光裕訳、八幡書店、1994年4月。ISBN 978-4893503176。66-68ページ。(原著 Cosmic Trigger, 1977)
^10 ティモシー・リアリー『フラッシュバックス-ティモシー・リアリー自伝』山形浩生訳、久霧亜子訳、明石綾子訳、森本 正史訳、松原永子訳、1995年。ISBN 978-4845709038。28、96ページ。
^11 ウォルター・トルーエット・アンダーソン『エスリンとアメリカの覚醒-人間の可能性への挑戦』伊藤博訳、誠信書房、1998年。ISBN 978-4414302844。121ページ。(原著 THE UPSTART SPRING:Esalen and The Americn Awakening, 1983)
^12 ティモシー・リアリー『フラッシュバックス-ティモシー・リアリー自伝』山形浩生訳、久霧亜子訳、明石綾子訳、森本 正史訳、松原永子訳、1995年。ISBN 978-4845709038。26-27、46ページ。
^13 ティモシー・リアリー『フラッシュバックス-ティモシー・リアリー自伝』山形浩生訳、久霧亜子訳、明石綾子訳、森本 正史訳、松原永子訳、1995年。ISBN 978-4845709038。32ページ。
^14 ティモシー・リアリー『フラッシュバックス-ティモシー・リアリー自伝』山形浩生訳、久霧亜子訳、明石綾子訳、森本 正史訳、松原永子訳、1995年。ISBN 978-4845709038。48-50ページ。
^15 ティモシー・リアリー『フラッシュバックス-ティモシー・リアリー自伝』山形浩生訳、久霧亜子訳、明石綾子訳、森本 正史訳、松原永子訳、1995年。ISBN 978-4845709038。59ページ。
^16 ティモシー・リアリー『フラッシュバックス-ティモシー・リアリー自伝』山形浩生訳、久霧亜子訳、明石綾子訳、森本 正史訳、松原永子訳、1995年。ISBN 978-4845709038。51ページ
^17 ティモシー・リアリー『フラッシュバックス-ティモシー・リアリー自伝』山形浩生訳、久霧亜子訳、明石綾子訳、森本 正史訳、松原永子訳、1995年。ISBN 978-4845709038。66ページ。
^18 マーティン・トーゴフ『ドラッグ・カルチャー-アメリカ文化の光と影(1945~2000年)』宮家あゆみ訳、清流出版2007年。ISBN 978-4860292331。150ページ。(原著 Can’t Find My Way Home, 2004)
^19, ^20 ティモシー・リアリー『神経政治学』山形浩生訳、1989年。ISBN 978-4845703227。23-24ページ。(原著 neuropolitics new edition, 1988, 1ed 1977)
^21, ^30 ラム・ダス「スピリチュアルな道の可能性の落とし穴」スタニスラフ・グロフ+クリスティーナ・グロフ編著『スピリチュアル・エマージェンシー-心の病と魂の成長について』高岡よし子訳、大口康子訳、春秋社、1999年。ISBN 978-4393360132。241-286ページ。(原著 SPIRITUAL EMERGENCY, 1989)
^22 (マーティン・トーゴフ『ドラッグ・カルチャー-アメリカ文化の光と影(1945~2000年)』宮家あゆみ訳、清流出版2007年。ISBN 978-4860292331。119-121ページ。(原著 Can’t Find My Way Home, 2004)
^23 ロバート・A・ウィルソン『コスミック・トリガー-イリュミナティ最後の秘密』武邑光裕訳、八幡書店、1994年4月。ISBN 978-4893503176。71ページ。(原著 Cosmic Trigger, 1977)
^24, ^26 中沢新一『三万年の死の教え-チベット『死者の書』の世界』《角川文庫ソフィア》、1996年。ISBN 978-4041981016
^25 ティモシー・リアリー『フラッシュバックス-ティモシー・リアリー自伝』山形浩生訳、久霧亜子訳、明石綾子訳、森本 正史訳、松原永子訳、1995年。ISBN 978-4845709038。205ページ。
^27 ティモシー・リアリー『フラッシュバックス-ティモシー・リアリー自伝』山形浩生訳、久霧亜子訳、明石綾子訳、森本 正史訳、松原永子訳、1995年。ISBN 978-4845709038。227-228ページ。
^28 マーティン・A.リー、ブルース・シュレイン『アシッド・ドリームズ-CIA、LSD、ヒッピー革命』越智道雄訳、第三書館、1992年。ISBN 978-4807492039。105-106ページ。(原著 ACID DREAMS The CIA, LSD and the Sixties, and Beyond, 1985)
^29 ティモシー・リアリー『フラッシュバックス-ティモシー・リアリー自伝』山形浩生訳、久霧亜子訳、明石綾子訳、森本 正史訳、松原永子訳、1995年。ISBN 978-4845709038。237、265、268ページ。
^31 ティモシー・リアリー『フラッシュバックス-ティモシー・リアリー自伝』山形浩生訳、久霧亜子訳、明石綾子訳、森本 正史訳、松原永子訳、1995年。ISBN 978-4845709038。277ページ。
^32 ティモシー・リアリー『フラッシュバックス-ティモシー・リアリー自伝』山形浩生訳、久霧亜子訳、明石綾子訳、森本 正史訳、松原永子訳、1995年。ISBN 978-4845709038。328、334ページ。
^33 ティモシー・リアリー『フラッシュバックス-ティモシー・リアリー自伝』山形浩生訳、久霧亜子訳、明石綾子訳、森本 正史訳、松原永子訳、1995年。ISBN 978-4845709038。361-363ページ。
^34 レイチェル・ストーム『ニューエイジの歴史と現在-地上の楽園を求めて』《角川選書》高橋巌訳、小杉英了訳、1993年。ISBN 978-4047032453。92-93ページ。(原著 IN SEARCH OF HEAVEN OF EARTH, 1991)
^35 ティモシー・リアリー『フラッシュバックス-ティモシー・リアリー自伝』山形浩生訳、久霧亜子訳、明石綾子訳、森本 正史訳、松原永子訳、1995年。ISBN 978-4845709038。338-341、347、398-399、401ページ
^36 ティモシー・リアリー『フラッシュバックス-ティモシー・リアリー自伝』山形浩生訳、久霧亜子訳、明石綾子訳、森本 正史訳、松原永子訳、1995年。ISBN 978-4845709038。400ページ
^37 佐藤哲彦、吉永嘉明、清野栄一『麻薬とは何か-「禁断の果実」五千年史』新潮社、2009年。141ページ。ISBN 978-4106036385
^38 マーティン・A.リー、ブルース・シュレイン『アシッド・ドリームズ-CIA、LSD、ヒッピー革命』越智道雄訳、第三書館、1992年。ISBN 978-4807492039。294-295ページ。(原著 ACID DREAMS The CIA, LSD and the Sixties, and Beyond, 1985)
^39 マーティン・A.リー、ブルース・シュレイン『アシッド・ドリームズ-CIA、LSD、ヒッピー革命』越智道雄訳、第三書館、1992年。ISBN 978-4807492039。302ページ。(原著 ACID DREAMS The CIA, LSD and the Sixties, and Beyond, 1985)
^40 ティモシー・リアリー『フラッシュバックス-ティモシー・リアリー自伝』山形浩生訳、久霧亜子訳、明石綾子訳、森本 正史訳、松原永子訳、1995年。ISBN 978-4845709038。410-422ページ。
^41 ティモシー・リアリー『フラッシュバックス-ティモシー・リアリー自伝』山形浩生訳、久霧亜子訳、明石綾子訳、森本 正史訳、松原永子訳、1995年。ISBN 978-4845709038。380、382、460ページ。
^42 ティモシー・リアリー『フラッシュバックス-ティモシー・リアリー自伝』山形浩生訳、久霧亜子訳、明石綾子訳、森本 正史訳、松原永子訳、1995年。ISBN 978-4845709038。471ページ。
^43 ラム・ダス、ラマ・ファウンデーション『ビー・ヒア・ナウ-心の扉をひらく本』吉福伸逸訳、スワミ・プレム・プラブッタ訳、上野圭一訳、平河出版社、1987年。ISBN 978-4892031410。(原著 BE HERE NOW, 1971, 1975)
^44 マーティン・トーゴフ『ドラッグ・カルチャー-アメリカ文化の光と影(1945~2000年)』宮家あゆみ訳、清流出版2007年。ISBN 978-4860292331。360-361ページ。(原著 Can’t Find My Way Home, 2004)
^45 菅靖彦『エクスタシー革命の光と闇』八幡書店、1996年。ISBN 978-4893503213
^46 ティム・ローレンス『ラヴ・セイヴス・ザ・デイ 究極のDJ/クラブ・カルチャー史』ブルース・インターアクションズ、2008年6月。ISBN 978-4860202811。26-27ページ。
^47 ティム・ローレンス『ラヴ・セイヴス・ザ・デイ 究極のDJ/クラブ・カルチャー史』ブルース・インターアクションズ、2008年6月。ISBN 978-4860202811。28-29ページ。
^48, ^53 ティム・ローレンス『ラヴ・セイヴス・ザ・デイ 究極のDJ/クラブ・カルチャー史』ブルース・インターアクションズ、2008年6月。ISBN 978-4860202811。427-429ページ。
^49 ティム・ローレンス『ラヴ・セイヴス・ザ・デイ 究極のDJ/クラブ・カルチャー史』ブルース・インターアクションズ、2008年6月。ISBN 978-4860202811。30ページ。
^50 ティム・ローレンス『ラヴ・セイヴス・ザ・デイ 究極のDJ/クラブ・カルチャー史』ブルース・インターアクションズ、2008年6月。ISBN 978-4860202811。182-184ページ。
^51, ^52 ティム・ローレンス『ラヴ・セイヴス・ザ・デイ 究極のDJ/クラブ・カルチャー史』ブルース・インターアクションズ、2008年6月。ISBN 978-4860202811。110-113ページ。
^54 マーティン・トーゴフ『ドラッグ・カルチャー-アメリカ文化の光と影(1945~2000年)』宮家あゆみ訳、清流出版2007年。ISBN 978-4860292331。452-454ページ。(原著 Can’t Find My Way Home, 2004)
^55 マーティン・トーゴフ『ドラッグ・カルチャー-アメリカ文化の光と影(1945~2000年)』宮家あゆみ訳、清流出版2007年。ISBN 978-4860292331。455ページ。(原著 Can’t Find My Way Home, 2004)
^56 ロバート・A・ウィルソン『コスミック・トリガー-イリュミナティ最後の秘密』武邑光裕訳、八幡書店、1994年4月。ISBN 978-4893503176。161-162、179ページ。(原著 Cosmic Trigger, 1977)
^57 ロバート・A・ウィルソン『コスミック・トリガー-イリュミナティ最後の秘密』武邑光裕訳、八幡書店、1994年4月。ISBN 978-4893503176。328-329ページ。(原著 Cosmic Trigger, 1977)
^58 ロバート・A・ウィルソン『コスミック・トリガー-イリュミナティ最後の秘密』武邑光裕訳、八幡書店、1994年4月。ISBN 978-4893503176。329-333ページ。(原著 Cosmic Trigger, 1977)
^59 ロバート・A・ウィルソン『コスミック・トリガー-イリュミナティ最後の秘密』武邑光裕訳、八幡書店、1994年4月。ISBN 978-4893503176。335-345ページ。(原著 Cosmic Trigger, 1977)
^60 ティモシー・リアリー『大気圏外進化論』菅靖彦訳、リブロポート、ISBN 978-4845710355。11ページ。(原著 INFO-PSYCHOLOGY, 1987)
^61 ジョン・C・リリィ、フランシス・ジェフリー『ジョン・C・リリィ 生涯を語る』中田 周作訳、《ちくま学芸文庫》、2003年。ISBN 978-4480087737。292ページ。(原著 JOHN LILIY, SO FAR…, 1990)
^62, ^92 ティモシー・リアリー「プログラミングとリ・プログラミング」聞き手・小川功『ウル』No.6、1992年。84-89ページ。
^63, ^76 ティモシー・リアリー(菅靖彦訳)「自分自身で考え、自分で死んでいくということ」『イマーゴ』1995年10月、214-221ページ。
^64, ^67, ^75 R. U. Sirius「すべてはティモシー・リアリーから始まった」『エスクワイア日本語版』9(12)99号、1995年12月、40-41ページ。
^65, ^66 マーティン・トーゴフ『ドラッグ・カルチャー-アメリカ文化の光と影(1945~2000年)』宮家あゆみ訳、清流出版2007年。ISBN 978-4860292331。457ページ。(原著 Can’t Find My Way Home, 2004)
^68, ^84 石井孝浩、ティモシー・リアリー「CYBER is PSYBER」『フールズ・メイト』100号、1990年1月。54-59ページ。
^69 ジェフリー・S・ヤング、ウィリアム・L・サイモン『スティーブ・ジョブズ-偶像復活』井口耕二訳、東洋経済新報社、2005年。ISBN 978-4492501474。38ページより引用。(原著 iCon Steve Jobs:the Greatest Second Act in the History of Business, 2005)
^70 リーアンダー ケイニー『スティーブ・ジョブズの流儀』三木俊哉訳、ランダムハウス講談社、2008年。13-14ページ。ISBN 978-4270004210。(原著 INSIDE STEVE’S BRAIN, 2008)
^71 スティーブ・ウォズニアック『アップルを創った怪物-もうひとりの創業者、ウォズニアック自伝』井口耕二訳、ダイヤモンド社、2008年。235-236ページ。ISBN 978-4478004791。(原著 iWoz: Computer Geek to Cult Icon: How I Invented the Personal Computer, Co-Founded Apple, and Had Fun Doing It, 2006)
^72 ティモシー・リアリー『大気圏外進化論』菅靖彦訳、リブロポート、ISBN 978-4845710355。10ページ。(原著 INFO-PSYCHOLOGY, 1987)
^73 「ティモシー・リアリー・インタビュー-電子部族からの予言」山田雅久・文『プレイボーイ』1994年、7月号、176-179ページより引用。
^74 マーティン・トーゴフ『ドラッグ・カルチャー-アメリカ文化の光と影(1945~2000年)』宮家あゆみ訳、清流出版2007年。ISBN 978-4860292331。456ページ。(原著 Can’t Find My Way Home, 2004)
^77, ^79, ^81 新元良一「ドラッグ教祖vsラブ&ピース伝道師」『エスクワイア日本語版』9(8)95号、1995年8月、64-66ページ。
^78, ^80 山田雅久「Timothy Leary interview」『月刊プレイボーイ』1994年7月、176-179ページ。
^82 デビッド・ジェイ・ブラウン、レベッカ・マクレン・ノビック『内的宇宙の冒険者たち-意識進化の現在形』菅靖彦訳、八幡書店 1995年。186-187ページ。ISBN 978-4893503206。(原著 Marvericks of The Mind
^83 マーティン・トーゴフ『ドラッグ・カルチャー-アメリカ文化の光と影(1945~2000年)』宮家あゆみ訳、清流出版2007年。ISBN 978-4860292331。467ページ。(原著 Can’t Find My Way Home, 2004)
^85 「ティモシー・リアリーinterview」栗野康和訳『美術手帳』618号、1990年1月。
^86 デビッド・ジェイ・ブラウン、レベッカ・マクレン・ノビック『内的宇宙の冒険者たち-意識進化の現在形』菅靖彦訳、八幡書店 1995年。135ページ。ISBN 978-4893503206。(原著 Marvericks of The Mind
^87 菅靖彦「Timothy Learyカオスの美学」『STUDIO VOICE』216号、1993年12月号、43ページ。
^89, ^90 ティモシー・リアリー「進化するヒューマン・カルチャー」『テクノカルチャー・マトリクス』NTT出版、1994年。ISBN 978-4871882590。96-97ページ。
^91 ティモシー・リアリー「プログラミングとリ・プログラミング」聞き手・小川功『ウル』No.6、1992年。84-89ページより引用。
^93 ティモシー・リアリー、R・U・シリアス『死をデザインする』栩木玲子訳、河出書房新社、2005。ISBN 978-4309906591。(原著 design for dying, 1997)
^94, ^95 デビッド・ジェイ・ブラウン、レベッカ・マクレン・ノビック『内的宇宙の冒険者たち-意識進化の現在形』菅靖彦訳、八幡書店 1995年。189-195ページ。ISBN 978-4893503206。(原著 Marvericks of The Mind
^96 幻覚剤の治療臨床試験、本格化へ(上) (WIRED VISION、2004年10月01日)

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