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サイケデリックス

サイケデリックスpsychedelics)とは、摂取するとしばしば神秘的な感覚を生じさせる物質である。日本語訳としては幻覚剤とされることも多いが、サイケデリックスによる体験は単に幻覚という言葉では表現しつくせない。サイケデリックスは、ある例外を除きいつの時代も神聖化されてきたものである。古来から多くの伝統の中で聖職者に使用されてきたように、心を照射し、教え導く(enlighten)作用があるからだ。したがって、サイケデリックスによるエンライトメント(enlightenment、啓蒙や悟りの意味)という意味を込めたい。多くの非キリスト教の伝統的な聖職者や医師がビジョンや治療を目的として用いてきたが、キリスト教神学は聖書信仰にそぐわないため悪魔によるものとして弾圧してきた。伝統的なサイケデリックスの成分に近似の分子構造を持つLSDも1943年に作用が発見されると、神聖化され、瞑想を通した探求につながり、精神医療や依存性薬物の依存症の治療に用いられ、多くのビジョンを与え、個人や社会に変革をもたすまで多くの時間を要さなかった。平和運動、環境運動、ヒッピー、ダンスパーティー、と大多数で「LOVE」を唱え一体となる運動が次々と生まれた。
CNNやナショナル・ジオグラフィック・チャンネルといったメジャーなメディアでは、LSDやMDMAといったサイケデリックスによる医療研究が報道されています。Love S. Doveさんがこうした流れをサイケデリックスの臨床研究に関するマスコミ報道(Entheorg)として、まとめているので情報がわかりやすいです。サイケデリックスによってわたしたちの心や脳を導くような効果が報告されているのです。科学的に有用という事例が知られることでのサイケデリックスの社会への導入が望まれる。

サイケデリック・ドラッグPsychedelic drugs)という呼び方には、抽出された物質という意味で薬剤に限定されるということと、ドラッグという言葉の負の印象があるためサイケデリックスという言葉を使っていきます。サイケデリックスという呼称は、他の呼称より一般的に普及しているということもあります [1]
法律で規制された薬物の使用は推奨しませんが、文明への影響についての情報提供と医療などによる有用な使用は追求されるべきものであると考えます。

初日の朝、森のなかで若者らのグループと出会った。(中略)
「もちろん、これはウッドストックよ」とひとりの少女が言った。まるで世界一、当たり前の質問をしたかのように。「これは私たちのウッドストックなのよ」
(マーティン・トーゴフ『ドラッグ・カルチャー-アメリカ文化の光と影(1945~2000年)』宮家あゆみ訳、清流出版2007年。ISBN 978-4860292331。472-473ページより引用。(原著 Can’t Find My Way Home, 2004)強調は原文のまま。)

「何人かの学生が私を「レイブ」(中略)に招待してくれた。(中略)そのドラッグによってグループの共感的な信頼感が増していた。(中略)他によい言葉が見当たらないのだが、ある種の霊的スピリチュアルな感じがあった。(中略)もう私はレイブには行かないだろう。しかし、彼らにもっと力を、と言いたい。
(ケン・ウィルバー『ワン・テイスト-ケン・ウィルバーの日記〈上〉」青木聡訳、コスモスライブラリー、2002年。ISBN 978-4434018060。4ページより引用。(原著 ONE TASTE, 1999)強調は筆者まぼろしによる)

分類と定義

分類

よく文献に登場する主要なサイケデリックスは特徴によって3種類に分類される。日本では大部分が違法です。

サイケデリックスの分類
特徴 主要な成分 存在形態
幻覚作用が強い LSD(リゼルグ酸ジエチルアミド) 1938年にサンドス社(現ノバルティス社)の化学者アルバート・ホフマンが化学合成した。麦角菌によって発生する可能性があるという説がある [2]
LSA(リゼルグ酸アミド) ある種のアサガオやヒルガオ(オロリウキなど)の種に含有。ほかに麦、特にライ麦に麦角菌によって発生する。ホフマンが成分を抽出。
メスカリン サボテンのペヨーテやサンペドロが含有。
シロシン・シロシビン 俗にマジックマッシュルームと呼ばれる様々なキノコが含有。ホフマンが成分を抽出し命名。
幻覚作用と自我を機能停止させる作用が強い DMT アヤワスカあるいはヤヘと呼ばれる薬草の調合物に含まれる。あとクサヨシとかに含まれる。
ケタミン 20世紀に化学合成された麻酔薬。WHO(世界保健機関)が麻酔薬として「必須医薬品」と定めるもの [3]
幻覚を起こさず共感性を高める作用が強い MDMA 20世紀に化学合成された。
サイケデリックスとインドール環の類似
サイケデリックスと脳内神経伝達物質セロトニンなど
インドール環を持つ物質の分子構造
[4]。この分子構造を
ちょっといじって(デザインして)作られるのが、
デザイナードラッグです。
意識レベルの階層とサイケデリックスの関係
意識レベルの階層とサイケデリックスの関係
[5]の画像です。(クリックで拡大しますが、パソコンでないと見にくいと思います)

分子構造、意識レベル

臨床研究

サイケデリックスによって慢性疾患や精神疾患を治療する研究が行われてきたことが特徴的である。たとえば、LSD [6]やケタミン [7]によるアルコール依存症などの薬物依存症の治療、北アメリカのインディアンはメスカリンを含むサボテンのペヨーテを、アマゾンのインディアンはアヤワスカをアルコール依存症の治療に使っている [8]。MDMAによるPTSD(心的外傷後ストレス障害)の治療、LSDやシロシビンによる精神疾患である神経症の治療、LSDやMDMAによる末期がんの苦痛緩和である。
激しい頭痛を伴う群発性頭痛の治療には複雑な薬が使われ、脳に穴を開け手術すれば60~70%の確率で治癒し10%は死亡する [9]。しかし、1回のLSDかシロシビンの摂取でも治癒するのでハーバード大学で研究が行われている [10]
こうした有用な作用に対する研究は法律が足かせとなって進みにくい。

サイケデリックスによる治療研究
物質 疾患 概要
アヤワスカ 1998 依存性薬物乱用、精神疾患 うつ病や不安障害や、アルコール、コカイン、アンフェタミン、タバコなどの依存性薬物乱用の改善。そして、人とのかかわり方の良好な変化。 [11]
ケタミン 1992 アルコール依存症 ケタミン麻酔を含めた集団心理療法。1年後、69.8%(60人)がアルコール断酒の継続、対象群は24%。 [12]
ケタミン 1997 アルコール依存症 ケタミンサイケデリック療法(KPT)。1年以上の断酒は65.8%(111人)。 [13]
ケタミン 2002 ヘロイン依存症 KPT。RCTで完全なサイケデリック体験を起こす高投与量群は、2年後でも渇望が減少していた。 [14]
ケタミン 2006 うつ病 RCT。投与後、2時間で抗うつ作用を発揮し1週間持続。 [15]
イボガイン 2001 アヘン、ヘロインの禁断症状 ヒトや動物実験での禁断症状の緩和。 [16](ただし、0.3%程度の死亡リスクもある [17]
シロシビン 2006 強迫性障害 RCT。投与量に関わらず1日以上の強迫性の症状の減少。 [18]
シロシビン、LSD 2006 群発性頭痛 聞き取り。シロシビンかLSDを利用した群発性頭痛者53人の半数以上に改善があったという聞き取り。 [19]

MAPS(幻覚剤学際研究協会) [20]を通してLSDやMDMAで臨床研究中のものがいくつかある。がん末期患者の終末期ケア、スピリチュアルケアが処方薬によってできるようになりますよ。数十年前の研究はerowidなどで参照できます。
(詳細は下部の外部リンク(ここをクリック)へ。)

定義

サイケデリックスは以下に引用する定義のように、その神秘体験や依存性の低さが特徴的である。
日本の精神医学の教科書的な書籍には以下のように説明されている。

内服により、鮮明な色と形の「万華鏡的幻視」を引き起こし、恍惚感と神秘的な「サイケデリック体験」を生じる。知覚、身体像、時間感覚の錯覚、歪曲も生じる。精神依存は強くなく、身体依存はない。
(昭和大学教授・加藤進昌編、九州大学教授・神庭重信編『TEXT精神医学-改訂3版』南山堂、2007年。ISBN 978-4525380038。180ページより引用)

ハーバード大学の精神医学部のレスター グリンスプーン教授らは以下のように定義している。

サイケデリック・ドラッグとは、身体的な沈溺や依存、身体的に大きな障害、あるいは譫妄、失権当識、健忘を起こすことなく、思考、気分、知覚に多かれ少なかれ確実な変化を生じさせる薬物であり、夢や瞑想や宗教体験で得られる恍惚、不意に浮かぶ記憶イメージの閃光、それに急性精神病で引き起こされる体験以外では、通常得られない変化を生じさせる薬物、ということになる。
(レスター グリンスプーン、ジェームズ・B. バカラー『サイケデリック・ドラッグ-向精神物質の科学と文化』杵渕幸子訳、妙木浩之訳、工作舎、2000年。ISBN 978-4875023210。29ページより引用)

依存性薬物の分類 [21]
  依存型 精神依存 身体依存 耐性 催幻覚 精神病性障害 薬物
抑制系 バルビツール酸型 ++ +++ ++ バルビタール,解熱鎮痛剤(セデス,ノーシン)
(ベンゾジアゼピンン類) + + + + ベンゾジアゼピン系抗不安薬,睡眠薬
(アルコール) ++ ++ ++ +
モルヒネ型 +++ +++ +++ アヘン,モルヒネ,ヘロイン,コデイン
有機溶剤 + ± + + ++ トルエン,キシレン,接着剤,プロパンガス,ライターガス
大麻型 + ± + ++ + マリファナ,ハッシッシュ
興奮系 アンフェタミン型 +++ + +++ 覚せい剤,メチルフェニデート,MDMA
コカイン型 ++++ + コカイン
幻覚剤型 + + +++ ± LSD,メスカリン,サイロシビン(マジックマッシュルーム)
混合 ニコチン ++ ± ++ たばこ

以上の「依存性薬物の分類」はWHO(世界保健機関)による分類となる。ただし、MDMAはアンフェタミン型に分類されるが依存性はない [22]

サイケデリックスと依存性薬物の違い

LSDを発見したアルバート・ホフマン博士はこのような見解を残している。

人間と自然が別々であるという認識や、自分が生きた自然の一部分だと実感できる融合体験の無さ、これらは物質主義時代の最大の悲劇であり、自然破壊や気候変動の根源的な原動力とも言えます。

そういった意味からも意識変革は最重要課題と言えるでしょう。サイケデリクスは、そのような変革を助けるものです。人間のもっとも奥深い部分を認識させ、精神的な本質をあらわにする道具として使うことが可能なのです。安全な場所で体験するサイケデリック・エキスペリエンスは人間の意識を自然との一体感へと導くことができるのです。

LSD、シロシビン、メスカリン等を含む一連のサイケデリクスは麻薬やドラッグとは別であり、それらは大昔から神聖な物質として儀式などに用いられ、毒性も中毒性もありません。

私はサイケデリクスと麻薬の問題は別々に議論すること重要だと考えます。そして、自己認識や精神療法、意識の根本的な研究などに大いに役立つ可能性を認識するべきです。

それを求める人が神聖な薬品を通して超越的な体験ができる未来、すなわち近代的なエレウシスの出現を私は望んでいます。

魂を開き、意識を露わにするこれらの薬品が、いずれ我々の社会と文化に適切な形で編入されることを、この会議は促進していると私は強く思います」
――アルバート・ホフマン博士 二〇〇七年四月十九日
(『スペクテイター〈19号〉』エディトリアルデパートメント、2008年。ISBN 978-4344950764。106ページより引用。)

このように、サイケデリックスと依存性の高いドラッグとは別の問題であるという提起は多くの識者からなされている。
アヤワスカ探求の書『麻薬書簡』などの著作を持つ作家のウィリアム・S・バロウズは『裸のランチ』冒頭でこのように述べている。

ここでいう麻薬中毒は、キフやマリファナやハッシシを原料とするものや、メスカリン、ヤーヘ、LSD6、聖なるキノコや、幻覚剤系の薬物中毒はいっさい含まない……幻覚剤の使用が肉体的な依存症につながるというという証拠はいっさいない。これらの薬物の働きは麻薬とは正反対だ。この二種類の嘆かわしい混同は、アメリカその他の麻薬取締局の狂信によって引き起こされた。
(ウィリアム・バロウズ『裸のランチ』《河出文庫》、鮎川信夫訳2003年。ISBN 978-4309462318。8ページより引用。(原著 The Naked Lunch, 1959))

サイケデリックスは、むしろアルコールなどの薬物依存に治癒的な効果をもたらす研究結果が存在する。依存性薬物ということであれば日本人の死因の12%に関与するタバコによるニコチン依存症 [23]や、アルコール依存症の治療に大いに力を入れるべきであると思う。これらの薬物は以下のように非常に依存性が高い。とくに薬物依存で困難となるのは離脱症状(禁断症状)であり、この不快感のために継続的に麻薬の摂取につながってしまう。そしてゆるやかに耐性ができる薬物は、その耐性によって以前より摂取量を増加しなければ効果を発揮しなくなり摂取量の増加につながる。

依存性薬物の依存性の特徴の比較 [24]
依存性
ニコチン > ヘロイン > コカイン > アルコール > カフェイン
中止の困難さ
( アルコール = コカイン = ヘロイン = ニコチン ) > カフェイン
耐性形成
( アルコール = ヘロイン = ニコチン) > コカイン > カフェイン
離脱症状の強さ
アルコール > ヘロイン > ニコチン > コカイン > カフェイン

LSDでは離脱症状がないため強力な中毒・依存性はなく、LSDでは耐性の形成と減衰がかなり速いために連続服用してもほとんど効果を発揮できない [25]。短期間に反復使用する状態になることが生理的に不可能なのである。LSDを合成したアルバート・ホフマンによれば、最初と同じ効力を発揮するには次の摂取には1週間あけることが必要である [26]
LSDやケタミンをもちいた実験を行っていたジョン・C・リリィはこう述べる。


デビッド
――この「ドラッグに対する戦争」という事態についてはどうお考えですか。
ジョン ――われわれはアスリンジャーが一九三七年にマリファナを麻薬のリストに加えて以来、ドラッグは禁止すべきだという誤った考えに支配されてきました。彼はアルコールを取り締まる法案を強化しようとしていたんですが、それが廃案となったため、何か新しいものを探していて、マリファナを見出したんです。アスリンジャーとのインタヴューで、インタヴュアーは次のように聞きました。「あなたがジョイントを吸ったとしたら、何をしますか?」「知り合いの人間を三人殺すと思うよ」と彼は答えました。なんという信念を持っているんでしょう!彼はそうしたことをすべて法律に盛り込んだんです。何が起こっているか皆目わからない人間の狂気としかいいようがありません。
(デビッド・ジェイ・ブラウン、レベッカ・マクレン・ノビック『内的宇宙の冒険者たち-意識進化の現在形』菅靖彦訳、八幡書店、1995年。ISBN 978-4893503206。334-335ページより引用。(原著 MAVERICKS OF THE MIND, 1993))

バロウズと『麻薬書簡』を交わした詩人のアレン・ギンズバーグはこう述べる。

レベッカ――政府がドラッグに対する政策で犯したもっとも大きな現実的、認識的誤りはなんだと思いますか。
アレン――一方でニコチンやアルコールの使用を特別あつかいしておきながら、その他のドラッグをすべて一つのカテゴリーにひっくるめてしまったことだと思う。(中略)オスカー・ジェニガーがアルバート・ホフマン・ファウンデーションの仕事でやろうとしているように、いったん、グラス(大麻)とサイケデリクスを大衆意識のなかの「ドラッグ問題」から切り離したら、次にコカインとクラックをあつかわなければならない。現在のドラッグ政策の結果は、犯罪者の数を増やし、抑圧を強化し、より多くの警察官を導入し、監視を厳しくするというものだ。ノーム・チョムスキーが指摘したように、ドラッグに対する戦争は、軍事的精神を持った半神が増える温床を作ったんだ。
レベッカ――禁止が欲求を減少させることにまったく貢献しないことを、歴史が示しています。それに、ドラッグ戦争のお金の大半が、犯罪要素の撲滅に費やされていることを考えると、政治家たちのあいだに合法化を支持する声が、どうしてそんなにも少ないんでしょう。
アレン――われわれは中絶を欲せず、ドラッグを欲しない根本主義者の先鋭をもっているんだ。(中略)それは、宗教的な狂信主義と経済的利害の合成物だよ。
(デビッド・ジェイ・ブラウン、レベッカ・マクレン・ノビック『内的宇宙の冒険者たち-意識進化の現在形』菅靖彦訳、八幡書店、1995年。403-404ページより引用。ISBN 978-4893503206。(原著 MAVERICKS OF THE MIND, 1993))

中絶を欲しない「根本主義者」とは、キリスト教原理主義者のことだろうか?アレン・ギンズバーグによれば、そういった状況が現状を存続させているということである。大麻の規制は、イスラム教徒のハッサン・イ・サッバーの伝説、ハシシ(大麻樹脂)を使って暗殺者を生みだしたというキリスト教原理主義がおそらく生みだした伝説が下地にあると思われる。アメリカを禁酒法によって禁酒国にした、キリスト教社会運動の次の標的が大麻であった [27]
ドラッグの研究を行った後に心身に関する代替医療の先駆者となったアンドルー・ワイルはこう述べる。

私たちは、幻覚剤の研究が認可されなかったことで、驚くほど多くのものを失った。幻覚剤は、知られているかぎり最も実用的で無害なドラッグだ。精神医療だけでなく、身体医療や個人の発達の分野においても、計り知れない可能性を持っている。それを否定し、合法的な研究を排除することによって、私たちはこれらの薬剤の否定的な部分ばかりに目を向けて、本当に役に立つはずの部分は無視したんだ
(マーティン・トーゴフ『ドラッグ・カルチャー-アメリカ文化の光と影(1945~2000年)』宮家あゆみ訳、清流出版2007年。ISBN 978-4860292331。442ページより引用。(原著 Can’t Find My Way Home, 2004))

語源や意味

サイケデリックは、「心があらわれる」、「心が開示する」という意味を持っている [28]。また音楽分野でサイケデリック・トランスの大御所であり、TIP(The Infinity Project)レコードを創設したラジャ・ラム(Raja Ram)によれば、心という意味の psyche とギリシャ語で光を意味する delous の組み合わせであり、意識に光を照らし現実の認識を拡張させ人生に大きな影響を与えるものであり、ドラッグ体験のみを指すものではない [29]
サイケデリックという言葉は、1956年に作家のオルダス・ハクスリーと精神科医のハンフリー・オズモンドとの文通の中で産まれた [30]

最初ハックスリーは、「ファシロネーム」ではどうかと提案した。語源は「精神」とか「魂」という意味である。(中略)

このつまらない世界に荘厳さが欲しければ、
ファシロネームを半グラム飲みたまえ。

これに対してオズモンドは、こう返事を書いた。

地獄のどん底、天使の高みを極めたければ、
サイケデリックをひとつまみだけやりたまえ。
(マーティン・A.リー、ブルース・シュレイン『アシッド・ドリームズ-CIA、LSD、ヒッピー革命』越智道雄訳、第三書館、1992年。ISBN 978-4807492039。61ページより引用。)

そして、翌1957年にハンフリー・オズモンドが精神分析学会で紹介し、精神をゆたかに拡大するということで提案した [31]

ほかの呼称

エンセオジェンEntheogen)は、サイケデリックスの植物学や菌類学また考古学の観点からの研究家であるロバート・ゴードン・ワッソンの作った言葉で、1980年代に「神を含む」という意味で広く紹介され [32]、サイケデリックスによる体験の神聖さを表現しようとしている [33]

エンセオジェンという呼称についての詳細は、Love S. Doveさんによる神々のドラッグ?エンセオジェンってなあに?(Entheorg)が詳しい。

ハルシノジェン(Hallucinogen、幻覚剤)は、幻覚を意味するHallucinationからきており、Hallucinationはラテン語で発狂を意味するalueinが語源である [34]。しかし、神秘的な体験を起こす作用を単に幻覚と呼ぶには適切ではないとも指摘されている [35]。アメリカ政府の薬事法や医学研究で使われる用語であり、またサイケデリックという言葉を作った精神科医のハンフリー・オズモンドもこの言葉を使用している [36]。日本でも同様に幻覚剤という言葉が一般的である。

サイコトメミティック(psychotomimetic、精神障害誘発物質)は、サイケデリックスにおける体験が幻聴や幻覚を症状としてもつ精神疾患である統合失調症と関連するのではないかということで作られた言葉であるが [37]、体験を比較すればサイケデリックスにおいては作用時間が決まっており思考の混乱や無気力感が起こりにくいという明確な違いがあり、統合失調症者がサイケデリックスを摂取したときにも症状としての幻覚体験と区別することができている [38]。1950年代に統合失調症の幻覚とは違うという指摘が行われるとサイケデリックスの治療側面の研究が増えていった [39]。統合失調症と簡単には見分けがつかないのは、覚せい剤濫用によって引き起こされる覚せい剤精神病である [40]。ハーバード大学でサイケデリックスに関する研究を行っていたティモシー・リアリーなどからは、いかがわしいものであるという印象を与えるために用いられていると批判されている [41]

歴史

近代まで

サイケデリックスは少なくとも3万年前から用いられており、ギリシャのアテネで行われたエレウシスの儀式、北アメリカのインディアン、アメリカ大陸のシャーマン、インドのヴェーダ聖典のソーマ、そしてアジアと世界中の多くの地域で用いられてきた [42]。特にアメリカ大陸のシャーマンは2000種以上のサイケデリックスを用い、ヨーロッパとアジアの250種類よりはるかに多い [43]

古い時代のサイケデリックスの実態と、その考古学的な研究が比較的新しいものであることを同時に解説していく。サイケデリックスに関する考古学的研究は神経に作用する化学物質の作用に注目が集まっていた1950年代には活発になった。

北米では、現在のアメリカ合衆国にもともと住んでいたネイティブ・アメリカン(インディアン)が、サイケデリックスであるサボテンのペヨーテを治療と儀式に用いていたが、この地域を植民地にしたキリスト教徒が1620年に宗教裁判によって使用を禁じた [44]。しかし、1966年になってネイティブ・アメリカンは信仰の自由としてペヨーテの使用が許可されることになった [45]

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ワッソンにキノコを教えたシャーマンの
マリア・サビーナ

南米のメキシコでシャーマンによって用いられてきたマジック・マッシュルームは、主要な生物学者にさえ存在が否定されるほどキリスト教によって歴史から徹底的に抹消されていたが、1955年にJPモルガン銀行の副社長でアマチュアの菌類学者であるロバート・ゴードン・ワッソンによって発見された [46]。マジックマッシュルームは、アステカ語でテオナナカトルと呼ばれ「神の肉」を意味する [47]。これらの地域では、紀元前から600年ごろまで、きのこ石、キノコの形の彫刻がみられる [48]。かつて南米に存在したマヤ帝国やアステカ帝国では、サイケデリックスは国の制度によって聖職者によって用いられていたが、これらの国を植民地にしたキリスト教徒がキリスト教神学によってサイケデリックスを悪魔の化身とみたため摂取を禁じた [49]。メキシコでは聖なる植物オロリウキの種子を粉末にし溶かした飲み物も用いてきた [50]。メキシコ原住民にとって神聖であり崇拝の対象であったオロリウキも、スペインの侵略によって押しつけられたキリスト教によって異端審問にかけられ1940年代に植物学者によって発見されるまで隠密に用いられることとなった [51]。話は少し逸れるがここで面白いと思われるのは、これらの国の人民がキリスト教に改宗された後、西洋のように理性を象徴するイエス・キリストではなく、愛の象徴である聖母マリアを褐色肌にし崇拝している(グアダルーペのマリア)ことや、サイケデリック調の色彩が芸術に反映され続けたことである。
アマゾン西部では、ハルマラ・アルカロイドのハルミンやハルマリン、DMTあるいは5-MeO-DMTを含む植物を飲み物や嗅ぎ煙草として摂取し幻想的ビジョンを見た [52]。DMT類の物質を口から摂取する場合は、ハルマラなどのモノアミン酸化酵素阻害剤(MAOI)を同時に摂取することで効力を発揮するが、この混合物はアヤワスカ(またはヤヘ)と呼ばれる [53]。アヤワスカは、シャーマンなどによって呪術や宗教的儀式、病気の診断と治療、占いなどに用いられてきた [54]。ハルマラは別名テレパシン、気持ちが伝わる力を持つのだろうか。モノアミン酸化酵素阻害剤(MAOI)は、アミノ酸のチラミンの吸収量が多い状態で摂取すると血圧が急上昇し死に至る危険がある。シャーマンは、バター、砂糖、塩を避けて、米やユカ芋、甘くない青いバナナ、特定の魚を食べる [55]。チラミンを避けるという目的であるならば、後述するサンペドロに関する食事制限に似たように制限したうえでかと思われ、食習慣が違えば、大豆を原料とするような豆類全般や肉類全般、チーズなど酪農食品全般も避けるのではないだろうか。
サントダイミという宗教集団は、1930年代にシャーマンからアヤワスカの秘儀を授かったライムド・イリネウ・セーハがはじめ、彼はアヤワスカを用いた治療師ともなった [56]。ポルトガル語でサントは「聖なる」ダイミは「give me、教えを下さい、光を下さい」を意味し、アヤワスカの飲料のこともサントダイミと呼ぶ [57]
サンペドロは、アンデスに自生するサボテンで、ペルーで古くはインカ帝国以前の古代文明と4000年以上前から用いられ、古代の陶器や像にサボテンが描かれ、ナスカの地上絵で有名なナスカ文明などにも関連がある [58]。サンペドロを飲む前には、肉や酒、脂の多いものや砂糖、刺激の強い香辛料を避けて、サンペドロを飲んだ後も1日食事を抜く [59]。こちらはMAOIを含むわけではないので純粋によりよいビジョンを見るための食事制限かと思われる。

ギリシャにおいて2000年間続いたエレウシスの秘儀は西暦268年にはキリスト教徒によって抹消されたが、そこで飲まれたキュケオンにはサイケデリックスが用いられていたという指摘が1964年にはじまった [60]。1978年には、LSDを合成したアルバート・ホフマンとロバート・ゴードン・ワッソンが共著で、キュケオンは麦角菌によって発生したサイケデリックを含んだのではないかという調査結果をまとめた著作を出している [61]

インドで最も古いといわれる聖典『ヴェーダ』に登場する神の飲み物であるソーマがサイケデリックスであるという主張もされている。これは、1969年にロバート・ゴードン・ワッソンも調査結果を著作にしている [62]。またインドでは聖者が大麻を樹脂にしたハシシをサイケデリック的な方法で用いている [63]

アフリカのシャーマニズムで用いられてきたのはイボガである [64]

中世に起こったキリスト教会による魔女狩りは、薬草としてサイケデリックスを扱う人々の「魔術」を悪魔の仕業とすることで異端審問にかけたということである [65]。1989年の文献にもとづいた論証では、ライ麦に周期的にサイケデリックスが発生する時期と重なって集団的に幻覚が起こるたびに、魔女に「魔法をかけられた」として魔女狩りが起こっている [66]。麦角(エルゴット、Ergot)は、特にライ麦に繁殖し、語源はオス鶏のあらわすフランス語で、このカビが麦に繁殖すると黒い角-ツノ-とか爪に見える [67]。麦角は生殖に悪影響したり、幻覚が起こる [68]。魔術はこのころはキリスト教に嫌われたのである [69]。古来、英知のことを、アジアではWisdom(ウィズダム:英知)、ヨーロッパではWizardry(ウィザードリー:魔法)とかMagic(マジック:魔法)と呼び、Magicの語源はラテン語で司祭たちをあらわすmagiで、初期のキリスト教では賢者たちとして取り入れられたが、魔女狩り以降はWitch(ウィッチ:魔女)などの頭文字の「W」が聖母マリアの「M」と反するためよい印象をもたれなかった [70]。このライ麦によって集団発生した幻覚は、1741年の秋には、ニューイングランドで非常に大規模に起こり数千人が幻覚を見たが、神を感じたり、神を見たという手記が残されている [71]。ヨーロッパには、リバティー・キャップ(シロシベ・セミランアセタ、Psilocybe Semilanceata)という品種のマジック・マッシュルームが自生する [72]

『聖書』において、アダムがキリスト教神学では悪魔とされる蛇にそそのかされて食べた「善悪を知る樹の実(知恵の樹の実、あるいは禁断の樹の実)」は、サイケデリックスであるという仮説がある [73]
すでに、『聖書』の地動説はガリレオの太陽中心説によって破れ、人間が神によって創られたという創造論がダーウィンによる進化論によって破れているが、悪魔の物質が光を与えるもの(illuminate)とすれば神と悪魔の概念がひっくり返ってしまう。

近代

1772年に亜酸化窒素が発見され、1840年に麻酔薬として紹介されるまでサイケデリックスとして使用され、1887年にはアメリカ人のベンジャミン・ポール・ブラッドが『麻酔による啓示とその人生哲学の要点』を出版、これを読んだアメリカ心理学の父であるウィリアム・ジェームズも追体験した [74]。亜酸化窒素は現在、歯医者で麻酔に用いられる「笑気ガス」のことですね。

1880年、ネイティブ・アメリカンのペヨーテ信仰が知られ、ペヨーテが医学者やパーク・デイビス製薬会社に送られ、1885年にその成分メスカリンが分離された [75]。純粋なメスカリンの分離は文献により年代にずれがある。アルバート・ホフマンの著作によれば1896年に [76]、サイケデリックスに詳しいテレンス・マッケナによれば1897年 [77]、ジャーナリストのジョン・ホーガンによれば1898年にドイツのアーサー・ヘフターによって分離されている [78]

20世紀以降

1910年にMDAが合成される [79]。1912年には、MDMAがドイツのE・メルク社で合成され、1914年ごろにはドイツやアメリカで特許が取得され、痩せ薬として売られていた [80]

1919年にメスカリンがE・シュペートによって化学合成され [81]、パーク・デイビス製薬会社などが循環器の刺激剤として販売したが、治療薬とはならずサイケデリックスとして用いられるようになった [82]。1927年にハルミン、ハルマリンが合成される [83]

メスカリンとLSDとシロシン・シロシビン、DOMはどれを摂取してもほかの物質にも耐性を作る交叉耐性がある [84]

平和的利用とCIAによる実験

1938年にアルバート・ホフマンによるLSDの合成、1943年にそのサイケデリックス作用が発見された。

CIAによる実験

1942年、CIA(アメリカ中央諜報局)の前身であるOSSが自白剤の開発に手をつけ、マリファナから無色無味無臭の成分を抽出し用いたが、効果の実態がつかめないとして中止された [85]。1947年、CIAと海軍が、ナチスが行ったメスカリンを用いた自白のための実験を知り、メスカリンを使い再び同じような実験を開始したが、有効性が見いだせず1953年に実験を終え、同じころCIAは自白剤を開発する「ブルーバード計画」をはじめ、1951年8月には「アティーチョーク作戦」と暗号名を変えた、コカイン、ヘロイン、ほかあらゆる薬物に手をつけ、LSDに固執し始める [86]。1953年、「MKウルトラ作戦(MK-ULTRA)」がはじまり、民間人に同意を得ずLSDをこっそり飲ませるという違法実験も含まれ、このときOSSのマリファナによる自白剤の実験をしきったジョージ・ホワイトは麻薬担当官になっていたが、彼が再び抜擢され、昼はドラッグが広がるのを防ぎ、夜は赤の他人に同意を得ずこっそりLSDを摂取させ、1955年には、夜は娼婦にLSDを渡し客とセックスしながらトリップしていることを観察する研究を始め、1963年まで続いた [87]。1960年代初頭には、より強力な薬剤に関心を移しLSDの使用は減っていった [88]。CIAは、ニューヨークの街でLSDを車から噴霧しながら128キロメートル走り、通行人にどんな影響を与えるかなどの実験も行っている [89]
以上が、CIAによるLSD実験の戦時利用模索の流れである。
「啓蒙された諜報員」とは、敵国のソ連がLSDを使い錯乱させられたと思いこまされないために、味方の諜報員にLSDの幻覚作用を体験させた諜報員のことである [90]
トリップという言葉は、アメリカ陸軍がLSD体験を指す言葉として作った [91]

平和の使者

アルフレッド・M・ハバドは、OSSに所属した後、ウランの採掘でひと財産作った大物であるが、1951年にLSDでトリップし、自分が母親の子宮に誕生する瞬間を目撃した [92]。彼がOSSの連中は好かんと言って、LSDの平和的利用のためにまい進することになる。軍事の世界から去ってからはハバドはカナダのバンクーバーに拠点を置いた。
1952年に、カナダでLSDとメスカリンの研究をしていたハンフリー・オズモンド博士がメスカリンが脳内物質のアドレナリンに似ているため、統合失調症は幻覚を起こす成分を肉体が誤って作っているのではないか、そして看護に当たる者もメスカリンを使えば思いやりを持って患者と接することができるのではと発表し、ハバドと作家のオルダス・ハクスリーが接触を求めた [93]。1953年、オズモンド立会いの下、ハクスリーはメスカリンを摂取し、翌年には幻覚剤の神秘体験を記した『知覚の扉』 [94]を発行、1955年、今度はハバドと立ち合いでメスカリンとLSDを摂取、翌年『天国と地獄』 [95]を発行する [96]。これらの著作が多くの人々にサイケデリックスに注目を集めさせることになる。
ハバドは、LSDの治療面に目を向けアルコール依存症に用いたが劇的な効果を得て、また、オズモンドもLSDかメスカリンを用いてアルコール依存症に用い、1000名ほどにLSDを投与した後、治癒率は50%であった [97]。サイケデリック治療法は、ハバドが開発しハンフリー・オズモンドが普及させたLSDを大量投与する方法で、色が聞こえ音が見え世界が肉体の延長であると感じさせる [98]。その後、オズモンドは13年間研究を続け、アルコールに手を出さなくなるものは1/3、顕著な効果が出るのは1/3と結論した [99]
そのうち、ハバドとオズモンドは病人を一変させることができるなら、常人も一変させ世界平和に貢献できるのではと思い、ハバドは60年代初頭まで、LSDを赤字で安価に売り、また首相、議員、FBI高官、警官、科学者、富豪、神父などあらゆる人々をトリップさせ、一人も精神異常をきたさなかったと述べる [100]

1956年、チェコのステファン・ソーラという化学者がDMTを合成する [101]
そして、上述したようにハクスリーとオズモンドによってサイケデリックという名称が提唱される。
1957年にロバート・ゴードン・ワッソンによるマジック・マッシュルームに関する記事が『ライフ』誌に掲載される [102]。翌年1958年に、アルバート・ホフマンがマジック・マッシュルームからシロシン・シロシビンの分離と合成に成功する [103]。成分の特定は早急に行われた。

幻覚性キノコの第一人者、ゴードン・ワッソンと彼の妻が常にCIAの諜報部員に付きまとわれたという、あの話を思い出した。(中略)  ワッソンが旅のメンバーを選ぶとき、あの連中の下手な努力を暴いていたら、幻覚世界の歴史はまったく違ってしまったことだろう。そうすればCIAが、シロシビンを永久に彼らの”集団内特権”として残す、というあの馬鹿げた発想もなかったはずだ。スイス人薬理学者でLSDの生みの親でもあるアルバート・ホフマンによるシロシビンの分子構造の発表、あの彼の迅速な行動こそが、彼らの暗く壮大な幻想をぶち壊したのだ。
(テレンス・マッケナ『幻覚世界の真実』京堂健訳、第三書館、1995年。54ページより引用。ISBN 978-4807495061。(原著 True hallucinations, 1993))

岩館画伯によるLSD服用前・中・後の絵
岩館画伯による
LSD服用前・中・後の絵
[104]

1950年代後半には、ハリウッドの映画スターなどがオスカー・ジェニガー博士からLSD治療を受けたため、相当な宣伝となった [105]。オスカー・ジェニガーは、100名の画家にLSDを投与の前後と投与中に絵を描かせたが全員が投与後が一番すばらしいと述べたため、さまざまなアーティスト、作家、俳優、画家、ミュージシャン、映画監督などにも試した [106]。創造性の研究だ。
創造性の研究といえばハバドが立ち会ってトリップした人物が立ち上げた国際高等研究所で、多くのコンピュータなどの技術者がトリップしている [107]。このあたりについては、スチュアート・ブランド、ホールアースカタログと情報共有に書きました。
ノーベル賞を受賞したフランシス・クリックはLSDによってDNAらせん構造の着想を得ている [108]。ノーベル賞受賞化学者のキャリー・マリスにとっても、DNAのポリメラーゼ連鎖反応法の解明にLSDが役立った [109]
1959年、小説家のケン・キージーがカルフォルニアで実験研究のボランティアとしてLSD、ペヨーテ、PCPなどを用いる [110]。これらのサイケデリックスのおかげで精神障害者の世界が理解でき [111]、精神病棟で夜勤をしている間に小説『カッコーの巣の上で』 [112]のテーマを考え出した [113]


Magic Trip – Trailer

サマー・オブ・ラブ

1960年代には、ティモシー・リアリーがサイケデリック運動の指導者的位置にあった [114]
ティモシー・リアリーは、1960年にハーバード大学の教授となり、シロシビンよる刷り込み(行動パターンなどのごく短時間における強力な学習)の実験を開始した。マイケル・ホリングスヘッドはLSD体験によって肉体を抜け出し恍惚の世界を探検したため、ハクスリーに電話をして相談し、リアリーに会うことをすすめられた [115]。1962年、イギリスからマイケル・ホリングスヘッドがリアリーのところへやってきてリアリーもトリップさせた [116]。オルダス・ハクスリーは、こうした研究の障害には古来からサイケデリックスを容赦なく弾圧してきた聖職者が最も執念深い敵になると助言している [117]。ハーバード大学でのリアリーの共同研究者には、後にラム・ダスとなり東洋思想を普及したリチャード・アルパートや当時院生だったラルフ・メツナーなどがいた。彼らは、サイケデリックスのセット(心構え)とセッティング(体験に合った快適な環境)や適切な投与量の理論なども研究し、幻覚の典型的パターンが仏教経典に説明されていることを見出し、『チベットの死者の書-サイケデリック・バージョン』 [118]で発表している。リチャード・アルパートによれば、1960年代のサイケデリックス使用の大衆化は、個人の神秘体験・変容に関心を集め、これまでの組織的宗教のシステムの概念を吹っ飛ばしたということである [119]。さらに、キリストと同じ体験ができるなら教会などいらなくなるからだとも述べている [120]。ハーバード大学での出来事は主要な雑誌に特集されLSDの指導者としてリアリーは広く知れ渡り、このころまでにはLSDに関する1000以上の論文があった [121]
同じ頃、脳と意識の研究を行っていたジョン・C・リリーもLSDを脳に記憶されたパターンの再プログラミング物質だとみなし、LSDの最大効果がはじまる直前の命令が繰り返されると考え、また摂取後2~4週間ポジティブな効果が残り、その後は1年ぐらい影響が残存すると結論し、1週間から数年の定期的な摂取によりポジティブな強化が維持されると考えた [122]。これは、LSDによって意識が拡張されて起こる無意識的な記憶への接触の容易さによって、幻覚や宇宙との一体化、人間以外の存在の接触、共感覚、内面的なものの投影といった無作為なノイズの導入によって起こると考えた [123]
スタニスラフ・グロフは、4000人程度の被験者にLSDの投与実験を行い体験を類型化し、過去の記憶や生誕時の記憶、宇宙との一体感などの神秘的な体験が起こるという結論を得た。グロフは後に呼吸法などを用い薬剤なしでトリップするホロトロピック・セラピーを開発し2万人以上をトリップさせる。グロフは無宗教主義の共産主義社会の中で「二十世紀の化学者が試験管の中で生み出した物質を使って、共産国で行われた真面目な科学的実験の渦中に、神が姿を現わし、現代の実験室の中で私の人生を乗っ取ったのである。(中略)患者が、心理学的な死と再生、宇宙的な一体感、元型的なビジョン、過去生の記憶と思われる場面などを体験した後、他の治療で何カ月も何年も治らなかった症状が消え去ってしまうことがよくあった [124]」と述べる。

この頃、ハバドはFDA(米国食品医薬局)の特別情報部員として闇市場のLSDの製造所の調査をし、ほとんどはマフィアの筋で製造されたものであり、それらに対してこのような強い感情抱いた。「この大尉は、ブラック・マーケットにでまわっているLSDがまぜものいりだと聞かされたときは、心底怒りをおぼえたのだった。ハバドにしてみれば、これは基本中の基本がくさっていることだった [125]」。

ケン・キージーは、『カッコーの巣の上で』の印税で、バロアルトの北西、ラ・ホンダの山岳地にログハウスを購入し、メリー・プランクスターズをつくり、サイケデリック調に装飾したスクールバスで各地を放浪するようになる [126]。LSD体験を共有しようと一度に何百人もトリップさせるバスで行うトリップ・エンカウンター・グループだ [127]ヘイト・アシュベリー地区は、1964年にはビートニクから、長髪とゆったりとしたローブというヒッピーのスタイルに変わっていき、音楽の流行はビートルズになっていった [128]。ヘイト・アシュベリー地区はヒッピーの集まる地区となっていく。ヘイト地区の無料診療所でアンドルー・ワイル博士が活動し、後にドラッグに関する適正な情報を発信するようになり [129]、その後、既存の西洋医療と食事療法などの代替医療を組み合わせた統合医療を発信するようになる。通称STPと呼ばれるDOMは1963年にダウ・ケミカル社に在籍していたアレキサンダー・シュルギンが合成したもので [130]、3日間はトリップするサイケデリックスである [131]。DOMはTMA-2という物質と類似している [132]。1965年には、ケン・キージーは、LSDを摂取して、アートなどのさまざまな実験を行う「アシッド・テスト」と呼ばれるイベントを主催し、そこで音楽グループのグレイトフル・デッドが演奏をした。1965年2月には、社会を本質的に変革する事が使命だと思ったオーガスタス・オーズリー・スタンリー3世が、きっちり250マイクログラムの錠剤にしたLSDを大量生産し出回るようになる [133]。1966年1月、ヘイト・アシュベリーでケン・キージーとメリー・プランクスターズによる「トリップス・フェスティバル」という3日連続のLSDショーが開かれ [134]、6000人を巻きこんだ [135]。LSDの俗称はアシッドだが、アシッド・ロック、サイケデリック・ロックと呼ばれるロックがヘイト・アシュベリー地区から生まれる。次第にアシッド・ロックは世界中でヒットする。

1965年9月、マイケル・ホリングスヘッドは故郷のロンドンへ帰ったがLSDに関する理解がないため「ワールド・サイケデリック・センター」の設立をめざし、イギリスではBBCラジオが温和な曲しか流さなかったので、海から船で電波を飛ばす海賊ラジオがロックを流すようになっていたがこれに便乗してトリップしたまま対談を放送した [136]。センターを通してビートルズやローリング・ストーンズなど多くのロック・スターがLSDに開眼する [137]。ビートルズのジョン・レノンもオーズリーにもらったLSDで1000回以上トリップしイメージをもとに曲を作る [138]。アルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』が完成し、ジャケットのうちジョン・レノンとジョージ・ハリスンはLSDでトリップしたまま撮影されている [139]。ビートルズは、化学薬品なしでの心理体験を求めマハリシという導師の下で瞑想をするようになる [140]。サイケデリックスは古来からの伝統のように、儀式や治療やビジョンを得るために用いられるようになっていったのである [141]

1960年代に、フラッシュバックという用語がLSD服用中の感覚がLSDを摂取してから数日~数週間後に再び蘇ることから作られた [142]。ウィリアム・バロウズは、メスカリンは精神を未知の領域に連れて行ってくれるが、以後はメスカリンがなくても同じ感覚が味わえると述べている [143]。このフラッシュバックという言葉は現代では相当悪影響を及ぼすかのように表現されることも多い。しかし、2256人に調査をとったところ、半数以上が心地よく人生を邪魔するものではないと述べている [144]。サイケデリックスによるフラッシュバックが、強いショックな出来事に関する記憶(トラウマ)を思い出したときのフラッシュバックにも用いられるようになり混同が起こった、あるいは意図的に混同させているように思える。ただし、中毒性が高い覚せい剤の文脈で用いられるフラッシュバックは中毒症状による悪影響なのでこれは混同すべきではない。 フェンサイクリンジン(PCP)は1963年に「セルニール」という商品名で麻酔薬として認可されたが、妄想などの副作用があるため使用されなくなった [145]。ケタミンは、1962年にパーク・デイビス研究所でPCPの代用物として合成された [146]。これらは自我を停止させるという特徴から、DMTの系列に属すると思われる。

1960年代後半には、LSDの5~10%の効力を持つリゼルグ酸アミド(エルジン)を含むアサガオのヘブンリー・ブル―、パーリー・ゲート、フライング・ソーサーの種子を粉末にした飲み物をLSDの代用として使いだした [147]。オロリウキなどから品種改良されたアサガオである [148]。オロリウキの種子100個、ハワイアン・ウッドローズの種子4~8個がLSD100マイクログラムに相当する [149]。オロリウキは作用成分の含有量が最も少ない [150]。キージーらは良質のLSDが手に入らなかった頃は、ヘブンリー・ブルーなどのアサガオの種を300個ぐらい飲みとてもハイになった [151]
1966年10月6日、CIAによるLSDが有害であるかのような世論を受け、LSDは違法薬物となった。

ヘイトアッシュベリーの情報誌『サンフランシスコ・オラクル』の編集者はリチャード・アルパートなどと話し合い、ヒッピーの無数のグループを結びつける目的でヒューマン・ビー・インを考え出した [152]。(正確にはヒッピーと活動的な反体制派グループを結束させるため、このとき反体制派は大麻が政府の言うように有害ではないということで国家の体制を懐疑させLSDなども摂取していた)『オラクル』は東洋思想やマクロビオティック(玄米菜食)、ヨガや占星術を扱った雑誌だが、編集方針はLSDの深遠さを教えすべての人間をトリップさせることであった [153]。1967年1月、ゴールデン・ゲート・パークで最初の「ビー・イン」が行われ、25000人集まる [154]。ティモシー・リアリーや、アレン・ギンズバーグなどが講演を行った。こうして、ヒッピー共同体が、平和や環境運動、反戦運動や共生を求め、結束した熱狂的な時期はサマー・オブ・ラブと呼ばれる。

永遠の愛の兄弟団は、カルフォルニアの不良のジョン・グリッグスがLSDを奪ってトリップした後、リアリーの自分の宗教を持てという教えによって正式な宗教法人として30人くらいではじまり、ネイティブ・アメリカンのようにLSDを法の下で摂取できる日を夢見た集団だが、大量のLSDでこの世を変えようと世界最大のLSD流通のネットワークを形成していった [155]

1967年、FBIによってオーズリーは逮捕され、ティム・スカリーが使命を引き継ぎ、LSDこそが人間の無慈悲さなどの問題を解くカギだと信じきっていた [156]。ティム・スカリーは、G・I・グルジェフの書に傾倒しDMTを合成していたニック・サンドと組み、ニック・サンドはSTPも製造し、永遠の愛の兄弟団と接触し1969年6月に研究所を閉じるまでに1千万服分のLSD「オレンジ・サンシャイン」を製造した [157]。オレンジ・サンシャインは4番目のブランドで、ブランドは順に「ブルー・チアー」「ホワイト・ライトニング」ジミ・ヘンドリックスが曲名にした「パープル・ヘイズ」そしてオレンジサンシャインが生産された [158]。 1969年8月、ロック・コンサートのウッドストック・フェスティバルに50万人の人々が集まりオレンジ・サンシャインやハッシッシがあふれた [159]

この時代のアメリカはベトナム戦争が行われヒッピーたちは反戦運動を行った。1968年までにはマルコムXやJ・F・ケネディの弟のロバート・ケネディ、黒人解放を訴えたキング牧師が暗殺される。
スカリーは、逮捕されたあと製造したのはLSDではなくALD52なので違法ではないと主張した [160]。ALD-52はLSDの91%の効力を持つ [161]
こうしてみると、アメリカのベトナム戦争の体制に反する勢力が解体されていったかのように見える。

ウッドストックのあとフラワーチルドレン(ヒッピー)がインドのゴアに移動する [162]。地中海のイビザへも移住していく。
サイケデリックスを探求しその独自の思想を練り上げたテレンス・マッケナは、1976年に『サイロシビン・マジック・マッシュルームの栽培の手引き』(邦訳なし)をO・T・オスというペンネームで出版し、アメリカでもマジックマッシュルームの流通が多くなる [163]。南米にいかなくても北米アメリカでも手に入る状況が出来てくる。 1980年にはジョン・レノンも暗殺される。

セカンド・サマー・オブ・ラブ

MDMAの義父は、アレキサンダー・シュルギンで、1960年代にダウ・ケミカル社で新しいメスカリンの合成物の研究していたが、1965年にともにアンフェタミンの合成過程のメトキシアンフェタミンからMDMAを合成し、はじめはセラピストがセラピーの補助薬として使っていたが、1984年に爆発的に大衆に使用が広がる [164]。MDMAは70年代初期まで医療関連の現場で用いられたが、欧米のレイブというダンスパーティーで「エクスタシー」という俗称で広く使われるようになった [165]。アメリカでは、1985年に違法となった。MDMAのバッド・トリップ、フラッシュバックは稀である [166]。 ティモシー・リアリーの研究に院生として関わっていたラルフ・メツナーは、MDMAに対してエンパソーゲン(empathogen、共感をもたらす)という言葉をつくった [167]。MDMAは、末期がん患者の苦痛緩和や、1988年から1993年にも心理療法に用いられた [168]

インドのゴアで生まれたゴア・トランスという音楽シーンを1960年代から見てきたDJゴア・ギル(Goa Gill)によれば、ゴアで1980年代になるとヨーロッパから流入してきた初期のエレクトリック・ダンス・ミュージック音楽だけをかけるパーティーがはじまり、人々はイビザに戻っては同じようにはじめ、アシッド・ハウスのパーティーとなり世界中に広まった [169]。アシッド・ハウスのムーブメントはイギリス・ロンドンのクラブ「天国ヘヴン」からはじまり、1960年代に流行ったサイケデリック調のペイズリー模様やスマイリー・バッジが復活し、「エクスタシー」によって一層盛り上がった [170]。アシッド・ハウスの重要人物の一人はイギリスでサイキックTVというバンドを結成したP・オーリッジだが [171]、彼の出したレコードのデザインには「アシッド・テスト」やティモシー・リアリーのスローガーンとなった「TUNE IN (TURN ON THEE ACID HOUSE) 」などを採用し60年代の影響がみられる [172]。1988年ごろにはアシッド・ハウスの大流行を中心としたセカンド・サマー・オブ・ラブへと発展していく [173]


ラスト・ヒッピー・スタンディング トレイラー

DJゴア・ギルは、LSD体験から宇宙を構成する要素がどう結合して世界を作りそれを心でどう動かすかを学び、次第にインドの聖典に興味を向けインドへ行きヒマラヤでヨガ行者になった [174]。そして、以下のような音楽による意識の変容の信条へと行きつく。

僕らは、音楽とダンスを宇宙のシャクティや宇宙の意識を呼び覚ますために使っていたし、その意識を音楽とダンスを通じて地球にもたらそうとしてた。ダンスは能動的な瞑想のようなもので、早いビートによって音楽と自分が一体になって踊り続けながら、思考が停止する。(中略)人間はいつも自分は自分の体と一体だと思っているけど、思考を停止して心を開けば、自分の思考や人格を越えて、ダンスを通して得られる自由の中へ連れて行ってもらえるんだ。(中略)
「誰かが僕に言ったけど、僧侶が二時間で行ける場所に、いいDJがいればダンスフロアでは数分で行けるって」(中略)
「意識が変化するし、そういうことにもっと敏感になる。それがトランス・ダンス体験を通して得られることのすべてだよ。(中略)個人の人格を越えた自由を発見し、もっと自分と環境とか、宇宙の必要性に気づくんだ。」(中略)
「僕はそういうことをぜんぶヨガをやって発見したんだ。」
(清野 栄一『RAVE TRAVELLER-踊る旅人』ジェフリー ジョンソン写真、太田出版、1997年。ISBN 978-872333435。155-157ページより引用。)

アルカイック・リヴァイヴァル

21世紀前後には、DMTを含むアヤワスカに注目が集まっていったようだ。ラルフ・メツナーは、アヤワスカに関する著作(Sacred Vine of Spirits: Ayahuasca [175])なども出版している。テレンス・マッケナは、「90年代のティモシ・リアリー」と表現された20世紀晩年のサイケデリック革命の指導者である。テレンス・マッケナは、サイケデリックスによってシャーマニズムのような自然と共生する精神が復活していると見て「アルカイック・リバイバル」と呼んだ [176]。自然の中で電子音楽を聞いて踊るレイヴが生まれてくる。

マッケナはアマゾンの熱帯を複製できるハワイにボタニカル・ディメンジョンという、民族薬物の収集と繁殖、シャーマニズム的・先住民の伝承の保全を目的とした非営利団体を作った [177]。マッケナの信条は伝統知があり安全な使用法が蓄積されたサイケデリックスの使用である。以下のように述べている。

私は、ドラッグは自然界から来るべきものだと思っています。そして、シャーマン的な傾向をもった文化によって検証されるべきものだと思っています。(中略)なぜなら、魔術的な文脈で何千年も用いられてきたからです。実験室で生産され、突然、世界中に分配されるドラッグは、歴史的な危機にあるグローバルなノイズを増幅するにすぎません。それに、実験室で生産されたドラッグの長期的な効果を予測できないという非常に実際的な問題もあります。ペヨーテ、朝鮮朝顔、マッシュルームといったものは、有害な社会的影響をおよぼさずに、たいへん長い期間用いられてきました。
(デビッド・ジェイ・ブラウン、レベッカ・マクレン・ノビック『内的宇宙の冒険者たち-意識進化の現在形』菅靖彦訳、八幡書店、1995年。ISBN 978-4893503206。40ページより引用。(原著 MAVERICKS OF THE MIND, 1993))

イギリスでは、1994年に野外で10人以上でビートが繰り返す音楽(レペティティヴ・ビーツ)を聞いている団体を解散させるというクリミナルジャスティス・アクトという法律ができる [178]。テクノ界のオウテカ(Autechre)はこれに反抗して、ビートを繰り返さない『ANTI』というCDを出している。イギリスでの取り締まり、ベルリンの壁の崩壊と共に始まったドイツのラブ・パレードは、ドイツでの大麻所持の軽犯罪化ともともなって100万人を超す大規模なパレード・パーティとなっていった。人々は「エクスタシー」を摂取し踊り明かす [179]。ラヴ・パレードの生みの親であるドクター・モッテは以下のように述べる。

今年のラヴ・パレードのモットーは We are one family だ。我々はテクノのファミリーであるだけでなく、この世に生きるすべての人々とファミリーだ。だから我々は世界じゅうから集まった人々とデモンストレーションをする。平和の共有と理解のために。それは世界のために、権力への増悪の旗印として行われる
(清野 栄一『RAVE TRAVELLER-踊る旅人』ジェフリー ジョンソン写真、太田出版、1997年。ISBN 978-4872333435。70ページより引用。)

平和と共生の原動力として、ラヴという感情をシンボルにして踊り明かす。国境も人種もなく切なる願い、切なる感情だけを参入条件としてわれわれは一体となる。
ゴア・トランスはサイケデリック・トランスとも呼ばれるようになっていく。サイケデリック・トランスの大御所ラジャ・ラムは「1200micrograms」といった音楽ユニットも平行して活動しているが、アヤワスカに導かれて音楽を追求していった。

「そう、それは50年ほど前にブラジル政府が合法にした、何千年も続いているアヤワスカ・セレモニーでのことだった。そのセレモニーは、ビーチのそばで行われる、非常にスピリチュアルなもので、私は先住民に招待された。そこで私は、先住民たちとジャングルに入り、ワインに似た液体を飲んだ。飲んだあと、二日目に、2匹の蛇がやってきて、彼らは私に、こう語りかけた。“リクタム、バンジーたちと、ドラッグ体験をもとに音楽をつくれ”とね。1200 MIC’S は、そのビジョンに従って始めたんだ」
??アヤワスカですか…(編注:幻覚作用のある植物飲料。日本では違法ドラッグ扱い。)
「だけど、1200 MIC’Sを通じて、リスナーに非合法なものを勧めるつもりは全くなかったし、良いものだと主張する気もなかったよ。得た体験を、純粋にアートとして表現することが目的だった。ドラッグを用いずとも、2匹の蛇が語ったことを感じさせられる音楽をつくりたかったんだ」
??1200 MIC’Sのファーストには、アヤワスカ以外のドラッグ名も出てきますよね。
「誤解しないでほしいことなんだが、私が初めてティモシー・リアリーらとNYでLSDを体験した’60年代当時、LSDはまだ違法ではなかった。エクスタシーもね。私にはその当時の経験があったから、リクタムやシカゴに、私が見たビジョンや体験に関する説明ができたんだ」 (中略)
「音楽には心理的な要素が強く出るから、マインドをフリーにする必要があるんだ。スピリチュアルな成長に日々取り組み、より良い人間になるべく努力することも大切だね。もしそれができれば、音楽はよりピュアになる。エゴを捨て、音楽の正しい目的のために努力することが必要なんだ。音楽の正しい目的は、本当に好きだからやる、お金のためにやらないというところにある。その好きという気持ちから発見が沸き起こる。その発見を友人たちとシェアするのも、正しい音楽の目的だね」 (中略)
「フルにトランスしている時には、エゴが消え去り、この宇宙に存在する全てを、子供のような気持ちで見られるようになる。」
1200 MIC’S インタビュー150号(iLoud)より引用。)

ラジャ・ラムは、ブラジルでは政府の援助も受け100万人を動員するパーティーを開いている。


raja ram

化学者そしてその心理的効果を実験したので心理学者とも言えるアレキサンダー・シュルギンは何百種類ものサイケデリックスの分子構造を少し変えたデザイナー・ドラッグを合成・服用実験し、『ピーカル-ケミカル・ラブ・ストーリー』(PiHKAL:Phenethylamines i Have Known And Loved、私が知って愛してきたフェネチルアミン) [180]と『ティーカル』(TiHKAL、私が知って愛してきたトリプタミン) [181]という大著によって、合成方法、実験してきた心理作用などを公開している。著書の出版の動機は、心理学者ウィルヘルム・ライヒの研究文書が、死後、政府によって燃やされたが自分にも同じようなことが起こる気がして、その前にできる限り広く文書を広めたかったというものである [182]。だが、シュルギンはアメリカ政府にこうした実験を行う権利を剥奪されてしまう。彼は、2050年までに2000種類ほどのサイケデリックスが誕生するのではないかと推測している [183]。シュルギンは彼の評価でプラス4という効果を普遍的にもたらす化学物質はまちがいなく発見され、至福のみをもたらすため人間という種が究極に進化し種が終わるだろうと考えた [184]。(プラス2ではトリップ中に日常生活に対応できる、プラス3はそうしたことに対応できない [185]

デザイナードラッグは、法律で規制された薬物に分子構造が類似しているが厳密に規制されていないため、法のグレーゾーンをかいくぐって販売されてきた。メスカリンに類似した2C-Iや2C-T-2や2C-T-7、MDMAに類似したMBDBやMethylone、DMTに類似した5-MeO-DIPTや5-Meo-MIPTなどが一旦流通しては、しばらくしたのち規制薬物となってきている。現在でも続く流通と規制のいたちごっこだ。

一方で海外では、サイケデリックスの治療的側面を研究している幻覚剤学際研究協会-MAPS [186]、メスカリン発見者の名をつけたヘフター調査研究会 [187]などが発足し、法律の圧力に負けずと治療研究の継続を願って活動している。デザイナードラッグの分子構造の原型を持つサイケデリックスによる治療効果が報告されるにつれ、派生したデザイナードラッグへの見方も変わってくるのではないだろうか。

人々や自然との一体感と高揚、精神の成長・苦痛の緩和、自分を導くヴィジョンの探求、精神疾患の治療、アルコールなどの薬物依存症の治療、古来より続くシャーマニズム的なサイケデリックスの人類への寄与を願ってやまない。

参考文献

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LSD合成のホフマン博士100歳、LSD国際シンポジウム

出典

出典
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^127 マーティン・A.リー、ブルース・シュレイン『アシッド・ドリームズ-CIA、LSD、ヒッピー革命』越智道雄訳、第三書館、1992年。ISBN 978-4807492039。135ページ
^128 バーニー・ホスキンズ『ダイヤモンド・スカイのもとに』飯田隆昭訳 太陽社、2004年。ISBN 978-4884680503。32-35ページ。(原著 BENEATH THE DIAMOND SKY: Haight-Ashbury, 1965-1970, 1997)
^129 A.ワイル、W.ローセン『チョコレートからヘロインまで-ドラッグカルチャーのすべて』ハミルトン遥子訳、第三書館、1986年。2-3ページ。ISBN 978-4807486113
^130 『オルタカルチャー-日本版』メディアワークス、1997年。ISBN 978-4073072249。24‐25ページ。
^131 マーティン・A.リー、ブルース・シュレイン『アシッド・ドリームズ-CIA、LSD、ヒッピー革命』越智道雄訳、第三書館、1992年。ISBN 978-4807492039。206ページ
^132 レスター グリンスプーン、ジェームズ・B. バカラー『サイケデリック・ドラッグ-向精神物質の科学と文化』杵渕幸子訳、妙木浩之訳、工作舎、2000年。ISBN 978-4875023210。54‐55ページ。
^133 マーティン・A.リー、ブルース・シュレイン『アシッド・ドリームズ-CIA、LSD、ヒッピー革命』越智道雄訳、第三書館、1992年。ISBN 978-4807492039。156-157ページ
^134 マーティン・A.リー、ブルース・シュレイン『アシッド・ドリームズ-CIA、LSD、ヒッピー革命』越智道雄訳、第三書館、1992年。ISBN 978-4807492039。153ページ
^135 マーティン・トーゴフ『ドラッグ・カルチャー-アメリカ文化の光と影(1945~2000年)』宮家あゆみ訳、清流出版2007年。ISBN 978-4860292331。179ページ。(原著 Can’t Find My Way Home, 2004)
^136 マーティン・A.リー、ブルース・シュレイン『アシッド・ドリームズ-CIA、LSD、ヒッピー革命』越智道雄訳、第三書館、1992年。ISBN 978-4807492039。125-126ページ
^137 マーティン・A.リー、ブルース・シュレイン『アシッド・ドリームズ-CIA、LSD、ヒッピー革命』越智道雄訳、第三書館、1992年。ISBN 978-4807492039。198ページ
^138, ^139 マーティン・A.リー、ブルース・シュレイン『アシッド・ドリームズ-CIA、LSD、ヒッピー革命』越智道雄訳、第三書館、1992年。ISBN 978-4807492039。198-200ページ
^140 マーティン・A.リー、ブルース・シュレイン『アシッド・ドリームズ-CIA、LSD、ヒッピー革命』越智道雄訳、第三書館、1992年。ISBN 978-4807492039。202ページ
^141 レスター グリンスプーン、ジェームズ・B. バカラー『サイケデリック・ドラッグ-向精神物質の科学と文化』杵渕幸子訳、妙木浩之訳、工作舎、2000年。ISBN 978-4875023210。95ページ。
^142 アルベルト・オリヴェリオ『覚える技術』川本英明訳、池谷裕二・解説、翔泳社、2002年。ISBN 978-4798103129。225ページ。(原著 L’ARTE DI RICORDARE, 1998)
^143 マーティン・A.リー、ブルース・シュレイン『アシッド・ドリームズ-CIA、LSD、ヒッピー革命』越智道雄訳、第三書館、1992年。ISBN 978-4807492039。68ページ
^144 レスター グリンスプーン、ジェームズ・B. バカラー『サイケデリック・ドラッグ-向精神物質の科学と文化』杵渕幸子訳、妙木浩之訳、工作舎、2000年。ISBN 978-4875023210。275ページ。
^145 レスター グリンスプーン、ジェームズ・B. バカラー『サイケデリック・ドラッグ-向精神物質の科学と文化』杵渕幸子訳、妙木浩之訳、工作舎、2000年。ISBN 978-4875023210。62-63ページ。
^146 レスター グリンスプーン、ジェームズ・B. バカラー『サイケデリック・ドラッグ-向精神物質の科学と文化』杵渕幸子訳、妙木浩之訳、工作舎、2000年。ISBN 978-4875023210。65ページ。
^150 ジム・デコーン『ドラッグ・シャーマニズム』竹田純子訳、高城恭子訳、青弓社、1996年。ISBN 978-4787231277。164ページ。
^151 マーティン・トーゴフ『ドラッグ・カルチャー-アメリカ文化の光と影(1945~2000年)』宮家あゆみ訳、清流出版2007年。ISBN 978-4860292331。129-130ページ。(原著 Can’t Find My Way Home, 2004)
^152 バーニー・ホスキンズ『ダイヤモンド・スカイのもとに』飯田隆昭訳 太陽社、2004年。ISBN 978-4884680503。79、110、121ページ。(原著 BENEATH THE DIAMOND SKY: Haight-Ashbury, 1965-1970, 1997)
^153 マーティン・A.リー、ブルース・シュレイン『アシッド・ドリームズ-CIA、LSD、ヒッピー革命』越智道雄訳、第三書館、1992年。ISBN 978-4807492039。156ページ
^154 マーティン・A.リー、ブルース・シュレイン『アシッド・ドリームズ-CIA、LSD、ヒッピー革命』越智道雄訳、第三書館、1992年。ISBN 978-4807492039。173ページ。
^155 マーティン・A.リー、ブルース・シュレイン『アシッド・ドリームズ-CIA、LSD、ヒッピー革命』越智道雄訳、第三書館、1992年。ISBN 978-4807492039。270-271ページ。
^156 マーティン・A.リー、ブルース・シュレイン『アシッド・ドリームズ-CIA、LSD、ヒッピー革命』越智道雄訳、第三書館、1992年。ISBN 978-4807492039。275ページ。
^157 マーティン・A.リー、ブルース・シュレイン『アシッド・ドリームズ-CIA、LSD、ヒッピー革命』越智道雄訳、第三書館、1992年。ISBN 978-4807492039。276-278ページ。
^158 マーティン・トーゴフ『ドラッグ・カルチャー-アメリカ文化の光と影(1945~2000年)』宮家あゆみ訳、清流出版2007年。ISBN 978-4860292331。176ページ。(原著 Can’t Find My Way Home, 2004)
^159, ^160 マーティン・A.リー、ブルース・シュレイン『アシッド・ドリームズ-CIA、LSD、ヒッピー革命』越智道雄訳、第三書館、1992年。ISBN 978-4807492039。289-290ページ。
^161 レスター グリンスプーン、ジェームズ・B. バカラー『サイケデリック・ドラッグ-向精神物質の科学と文化』杵渕幸子訳、妙木浩之訳、工作舎、2000年。ISBN 978-4875023210。31ページ。
^162 清野 栄一『RAVE TRAVELLER-踊る旅人』ジェフリー ジョンソン写真、太田出版、1997年。ISBN 978-4872333435。230ページ。
^163 テレンス・マッケナ『神々の糧』小山田義文訳、中村功訳、2003年。ISBN “978-4807403240。223ページ。 (原著 food of the gods, 1992)
^164 清野 栄一『RAVE TRAVELLER-踊る旅人』ジェフリー ジョンソン写真、太田出版、1997年。ISBN 978-4872333435。278-279ページ。
^165, ^166 レスター グリンスプーン、ジェームズ・B. バカラー『サイケデリック・ドラッグ-向精神物質の科学と文化』杵渕幸子訳、妙木浩之訳、工作舎、2000年。ISBN 978-4875023210。13‐14ページ。
^167 マーティン・トーゴフ『ドラッグ・カルチャー-アメリカ文化の光と影(1945~2000年)』宮家あゆみ訳、清流出版2007年。IISBN 978-4860292331。436ページ。(原著 Can’t Find My Way Home, 2004)
^168 レスター グリンスプーン、ジェームズ・B. バカラー『サイケデリック・ドラッグ-向精神物質の科学と文化』杵渕幸子訳、妙木浩之訳、工作舎、2000年。ISBN 978-4875023210。17‐18ページ。
^169 清野 栄一『RAVE TRAVELLER-踊る旅人』ジェフリー ジョンソン写真、太田出版、1997年。ISBN 978-4872333435。153-155ページ。
^170, ^171 レイチェル・ストーム『ニューエイジの歴史と現在-地上の楽園を求めて』《角川選書》高橋巌訳、小杉英了訳、1993年。ISBN 978-4047032453。108ページ。(原著 IN SEARCH OF HEAVEN OF EARTH, 1991)
^172 Psychic TV Research Laboratory – RE-SEARCH REVIEWS-Psychedelic Violence 23 – Special LP(23net.tv、2004年12月23日)
^173 清野 栄一『RAVE TRAVELLER-踊る旅人』ジェフリー ジョンソン写真、太田出版、1997年。ISBN 978-4872333435。10-12ページ。
^175 Ralph Metzner, Sacred Vine of Spirits: Ayahuasca, ISBN 1594770530
^176 「テレンス・マッケナ アルカイック・リバイバル」『STUDIOVOICE』通号216号、1993年6月、44ページ。
^177 デビッド・ジェイ・ブラウン、レベッカ・マクレン・ノビック『内的宇宙の冒険者たち-意識進化の現在形』菅靖彦訳、八幡書店、1995年。ISBN 978-4893503206。22、50ページ。(原著 MAVERICKS OF THE MIND, 1993)
^178 清野 栄一『RAVE TRAVELLER-踊る旅人』ジェフリー ジョンソン写真、太田出版、1997年。ISBN 978-4872333435。32、97ページ。
^179 ドイツ人らしくない行事『ラブパレード』(WIRED VISION、2000年7月12日)
^180 Alexander Shulgin with Ann Shulgin. Pihkal: A Chemical Love Story, 1991. ISBN 0963009605
^181 Alexander Shulgin with Ann Shulgin. Tihkal: The Continuation, 1997. ISBN 0963009699
^182 マーティン・トーゴフ『ドラッグ・カルチャー-アメリカ文化の光と影(1945~2000年)』宮家あゆみ訳、清流出版2007年。ISBN 978-4860292331。434ページ。(原著 Can’t Find My Way Home, 2004)
^183 合成ドラッグのオンライン販売、終身刑の可能性も(下) (WIRED VISION、2005年7月13日)
^184 ジョン・ホーガン『科学を捨て、神秘へと向かう理性』竹内薫訳、徳間書店、2004年11月。ISBN 978-4198619503。348-349ページ。(原著 Rational mysticism, 2003)
^185 ジム・デコーン『ドラッグ・シャーマニズム』竹田純子訳、高城恭子訳、青弓社、1996年。ISBN 978-4787231277。184-185ページ。
^187 Heffter Research Institute

One thought on “サイケデリックス

  1. 私はキリスト教徒なのだが、
    ガリレオの地動説と聖書は相反しないよ
    聖書の中には地球が宇宙の中心だとは書かれてないもん
    むしろ、大地は天につられていると書いてある

    宇宙的話を出すのなら、

    1920年代までの科学はハッブルの宇宙膨張の観測によって聖書に負けた事が証明されてるよ

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